高知県立中村中学校・高等学校

高知県立中村中学校・高等学校
地図北緯32度59分53.3秒 東経132度55分56.6秒 / 北緯32.998139度 東経132.932389度 / 32.998139; 132.932389座標: 北緯32度59分53.3秒 東経132度55分56.6秒 / 北緯32.998139度 東経132.932389度 / 32.998139; 132.932389
国公私立の別 公立学校
設置者 高知県の旗 高知県
併合学校 高知県立中村高等学校
高知県立中村女子高等学校
設立年月日 1900年
共学・別学 男女共学
中高一貫教育 併設型
分校 西土佐分校
課程 全日制課程
単位制・学年制 学年制
設置学科 普通科
学期 3学期制
学校コード C139210001182 ウィキデータを編集(中学校)
D139210000172 ウィキデータを編集(高等学校)
高校コード 39130B
中学校コード 390175[1]
所在地 787-0003
高知県四万十市中村丸の内24番地
外部リンク 公式ウェブサイト
ウィキポータル 教育
ウィキプロジェクト 学校
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高知県立中村中学校・高等学校の位置(高知県内)
高知県立中村中学校・高等学校

高知県立中村中学校・高等学校(こうちけんりつ なかむらちゅうがっこう・こうとうがっこう)は、高知県四万十市中村丸の内にある県立中学校高等学校中高一貫教育を行っている。高知県西部の進学重点校。通称は中高(なかこう/高校)、県中(けんちゅう/中学校)。 なお、四万十市内には市立の同名校である四万十市立中村中学校(旧・中村市立、通称中中(なかちゅう))があるため、混同されやすく、注意を要する。

高等学校の設置学科

  • 普通科
    • 2年次より人文型・自然型に分かれる。

沿革

旧制中学校

高等女学校

  • 1908年(明治41年) - 私立幡多郡実業女学校として開校。
  • 1909年(明治42年) - 幡多郡立実業女学校と改称。
  • 1912年(明治45年) - 幡多郡立実科高等女学校と改称。
  • 1917年(大正6年) - 幡多郡立裁縫女学校を併設。
  • 1918年(大正7年) - 幡多郡立実科高等女学校を廃止、幡多郡立高等女学校を設置。
  • 1920年(大正9年) - 幡多郡高等女学校と改称。
  • 1922年(大正11年) - 高知県立中村高等女学校と改称。

新制高等学校

出身者

旧制中学校卒業
  • 幸徳秋水(思想家、日本の社会主義思想の父)
  • 宮川竹馬(初代四国電力社長、旧制中学校第1期生、戦後の電力事業構想(電力九分割案)を作成した一人)
  • 上林暁(小説家、戦後期を代表する私小説作家。中村中学校・高等学校校歌の作詞は友人の草野心平による)
  • 依光好秋(政治家、旧制中学4年修了で専修大学に進学)
  • 京極純一(政治学者、日本の政治分析に計量分析を取り入れたパイオニア) 
  • 永野耐造(法医学者、元警視庁科学捜査研究所長)
  • 岡村勲(弁護士、元日本弁護士連合会副会長、全国犯罪被害者の会の設立者(代表幹事)の一人で犯罪被害者等基本法の成立に大きく貢献)
高等女学校卒業
  • 北見志保子(女流歌人、幡多実業女学校卒業、大正 - 昭和時代の女流歌人。北原白秋、古泉千樫に師事)
新制高等学校卒業

脚注

  1. ^ 高知県所属中学コード表 - 教育開発ONLINE” (PDF). 教育開発出版株式会社. 2018年12月13日閲覧。
  2. ^ 原武史『昭和天皇御召列車全記録』新潮社、2016年9月30日、104頁。ISBN 978-4-10-320523-4 

関連項目

外部リンク

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