高橋 安人(たかはし やすんど、1912年(明治45年)6月12日 - 1996年(平成8年)10月29日)[4]は、日本の機械工学者。工学博士(東京帝国大学)、カリフォルニア大学バークレー校名誉教授、豊橋技術科学大学名誉教授。当初は伝熱工学を専攻していたが、太平洋戦争後は日本の制御工学の草分けとして活躍した[17][18]。世界の先端技術を日本に広めるとともに、日米の懸け橋としても功績がある[19]。
名古屋帝国大学助教授、東京大学生産技術研究所教授、カリフォルニア大学バークレー校教授、豊橋技術科学大学教授を歴任。1978年にRufus Oldenburger Medal(英語版)[13]、1994年に計測自動制御学会最初の功績賞を受賞[14]。勲三等受勲。
来歴・人物
1935年(昭和10年)に東京帝国大学工学部機械工学科を卒業し、1937年までは鉄道省に在籍した。横浜高等工業学校[7]や名古屋帝国大学[20][21][22]を経て、1944年より東京帝国大学第二工学部教授。伝熱工学の研究に従事し、1946年1月に同大学で学位を取得する。
同年6月には自動制御の研究を開始する。東京大学生産技術研究所で所属し、自動制御懇話会(自動制御研究会[23]、計測自動制御学会の前身の一つ)の立ち上げにも貢献する[24]。1954年(昭和29年)から1956年までフルブライト研究員として渡米。マサチューセッツ工科大学(MIT)とカリフォルニア大学バークレー校で客員教授を務める。この時、NC工作機械の情報を日本に伝えるのに一役買っている。
その後「アメリカにいた方がむしろ日本の学界へ貢献できそうだ」と考え、声もかかっていたカリフォルニア大学バークレー校へ移籍。1958年(昭和33年)から1979年(昭和54年)まで、21年間テニュアとして教授職を務める。1979年9月から1976年(昭和51年)に開学したばかりの豊橋技術科学大学に招かれ、同大学で語学センター長[26]や国際交流問題懇談会の座長(後、国際交流委員会委員長)[27]を務め、カリフォルニア大学バークレー校との大学間協定に尽力した[27]。
以後はミクニ・バークレーR&Dの顧問を務め、バークレーの自宅で過ごした。学会誌などに多様な記事(#著作の節を参照)を書いていた高橋は、1980年頃から新聞記事の要約を毎月まとめるようになり、インターネット時代になってからも毎月新聞のような電子メールを研究者仲間へ送っていた。
著書
単著
共著
編著
翻訳
著作
学位論文
解説
報告
記事
脚注
注釈
- ^ 死亡月日を「11月29日」としている文献もあるが、カリフォルニア大学のサイトでは“October 29”[4]となっており、11月1日の付けの追悼記事(Robert Sanders 1996)との整合性も合わないため、死亡日を10月29日とした。
- ^ California Digital Libraryや高橋の論文[7]には“Yokohama Technical College”と記述されているが、後進の横浜国立大学による英語名は“Yokohama Higher School of Technology”[8]となっている。
出典
参考文献
外部リンク