青木 重義(あおき しげよし)は、江戸時代後期の大名。摂津国麻田藩の第14代(最後)の藩主。維新後、子爵。
生涯
嘉永6年(1853年)、第11代藩主・青木重龍が隠居後にもうけた五男として誕生した。
安政3年(1856年)8月28日、養父・一咸の死去により、わずか4歳にして家督を継いだ。重龍の死去は2年後の安政5年(1858年)である。慶応4年(1868年)2月20日、上洛し、新政府支持の姿勢を示す。同年4月3日、従五位下・民部少輔に叙任する。
維新後の明治2年(1869年)6月23日、麻田藩知事に就任する。藩校・直方堂を文武局と改めると共に、漢学や算数などを新たに取り入れた。同年、藩の領地である高平郷(川辺郡高平村、のち有馬郡に編入、現・三田市)で小作争議が起こっている。明治4年(1871年)7月15日、廃藩置県に伴い知藩事を免職となった。
明治17年(1884年)7月8日に子爵となるが[1]、同年10月27日に死去した。享年32。
中山男爵家から養子に入った信光が跡を継いだ。
系譜
- 父:青木重龍(1800年 - 1858年)
- 母:不詳
- 養父:青木一咸(1828年 - 1856年)
- 正室:由 - 松平信宝の三女、のち離縁
- 継室:塩田伝兵衛の娘
- 養子
脚注
青木氏 麻田藩14代藩主(1856年 - 1871年) |
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