長谷 外余男(はせ とよお、1880年〈明治13年〉1月2日 - 1973年〈昭和48年〉8月15日)は、日本の神職。熱田神宮名誉宮司。
生涯
1880年、石川県の社家に生れる。1911年に神宮皇學館を卒業、1912年に駒形神社宮司となって以降、1913年から大鳥神社、1920年から松尾大社、1923年から多賀神社、1934年から橿原神宮の宮司をつとめ、1936年から熱田神宮宮司、その後同名誉宮司。1946年の神社本庁設立などに尽力した。皇學館大学の初代理事長も務めている。
栄典
著書
脚注
- ^ 『官報』第4438号・付録「辞令二」1941年10月23日。
参考文献
- 『官報』第3035号、1922年9月12日。
- 『大衆人事録 中部篇』(帝国秘密探偵社、1940年)
神社本庁事務総長(第2代:1948年 - 1949年) |
---|
総長 | |
---|
主張 | |
---|
神社本庁統理(統理代務者:1946年2月 - 3月 / 初代:1946年3月26日) |
---|
統理 | |
---|
代務者 | |
---|