蔵主町(くらぬしちょう)は、江戸期から現在にかけての青森県弘前市の地名。郵便番号は036-8345。2017年6月1日現在の人口は138人、世帯数は83世帯[1]。
地理
大浦町の裏手に位置し、長坂町と南北に並走する筋道の町。町域の北部は亀甲町、東部は長坂町、南部は東長町、南西部は下白銀町、西部は大浦町に接する。
歴史
- 正保3年 - 町屋とある(津軽弘前城之絵図)。
- 慶安2年 - 当地の中央を東西に流れる二階堰を境に、南部は「くろうず町」、北部は「くろうず町下町御小人町」と分けられる。「くろうず町」は23軒に屋敷割りされ、小売商や、屋号のある商家。「くろうず町下町御小人町」は少禄の武家屋敷町で20軒の屋敷(弘前古御絵図)
- 寛文13年 - 町屋は無くなり、町名は侍町となる(弘前中惣屋敷絵図)。
- 延宝5年 - 二階堰の南が上蔵主町、北は下蔵主町となる。また、史料によっては蔵人町(くろうず町)と表記される(弘前惣御絵図)。
- 元禄9~10年・宝永2~4年 - 武家屋敷の郭外移転により、上・中級藩士の屋敷街に変わる。
- 享和3年 - 武家屋敷18(御家中町割)。
- 明治初年 - 蔵主丁と呼ばれ、「黒主」とも書かれた。町域は「長三丁四十六間二尺、巾三間」とあり、戸数16(国誌)。
- 1871年(明治4年) - 当地に菊池九郎が一時期滞在。
- 1875年(明治8年) - 菊池九郎宅を集会所として弘前基督教会を設立。
- 1901年(明治34年) - 当地に第一高等女学校開校。
- 1960年(昭和35年) - 当地にあった弘前実業高校跡地に弘前合同庁舎が建設される。
沿革
- 江戸期 - 弘前城下の一町。
- 明治初年~明治22年 - 弘前を冠称。
- 1889年(明治22年) - 弘前市に所属。
施設
教育
医療
行政
小・中学校の学区
市立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる。
交通
中央高校前(ためのぶ号 津軽藩ねぷた村経由 - りんご公園線)停留所。
脚注
参考文献
角川日本地名大辞典 2 青森県(角川書店)
|
---|
※地域区分(弘前市国勢調査報告書p.14で使用されているもの)ごとに表示する。 |
旧弘前市 |
新市街地域 |
---|
桜ヶ丘・緑ヶ丘地区 | |
---|
向外瀬・青山地区 | |
---|
城東・外崎地区 | |
---|
松原・取上地区 | |
---|
中野・城南地区 | |
---|
浜の町・石渡地区 | |
---|
田園地域 |
---|
清水地区 | |
---|
和徳地区 | |
---|
豊田地区 | |
---|
堀越地区 | |
---|
千年地区 | |
---|
藤代地区 | |
---|
東目屋地区 | |
---|
船沢地区 | |
---|
高杉地区 | |
---|
裾野地区 | |
---|
新和地区 | |
---|
石川地区 | |
---|
|
---|
|
|
カテゴリ |