自由党 (じゆうとう、英語 : The Liberal Party [ 1] )は、かつて存在したイギリス の自由主義 政党 。
概説
古典的自由主義 を掲げ、自由貿易 ・小さな政府 を支持する政党であった。
1910年代までは二大政党の一角であったが、1918年の総選挙で大敗したことをきっかけに小政党に転落し、1988年に社会民主党 と合併して消滅した。
歴史
前身は「ホイッグ党 」で、旧カニング派 (英語版 ) 、急進派 (英語版 ) との合流により1830年 頃、後に知られる自由党の原型が成立した。
その後、1840年代 に保守党 からピール派 が合流。自由党はこれら諸派の連合した政党としての性格を持つ。1859年 の第2次パーマストン 内閣の成立を一つの契機として、正式に自由党が成立したと考えられている。
1920年代 までは「保守党」と二大政党制 を形成し、多くの首相 を輩出した。
労働党 の勢力拡大に伴って次第に勢力が衰退し、小政党に甘んじることになった。1957年 には庶民院議員数が5人まで減り、「タクシーの後部座席で会議ができる」と言う冗談が言われていた。
1970年代からは多少党勢が回復したものの、保守党・労働党の二大政党勢力には到底及ばない議席数しか得られなかった。
1983年 から労働党右派 の議員が離党して結成した社会民主党 と選挙連合を組み、共同のマニフェスト を掲げて選挙戦を戦った。この同盟は1987年 まで続いた後、1988年 に自由党と社会民主党の合併という形で発展的に解消した。合併後の名称は社会自由民主党 (Social and Liberal Democrats )であったが、1989年 10月 に自由民主党 (Liberal Democrats )と改称し現在に至っている。なお、社会民主党との合併反対派は、新たに「自由党 (英語版 ) 」を結成、現在でも地方議会では活動している。
自由党のリーダー一覧
貴族院(1859年 - 1916年)
庶民院(1859年 - 1916年)
党首(1916年 - 1988年)
自由党出身の首相
脚注
出典
^ a b c 犬童一男 . “自由党(イギリス) じゆうとう The Liberal Party ”. コトバンク . 日本大百科全書(ニッポニカ) . 2019年9月2日 閲覧。
^ a b c d e f g 犬童一男 . “自由党(イギリス) じゆうとう The Liberal Party #成立および沿革 ”. コトバンク . 日本大百科全書(ニッポニカ) . 2019年9月2日 閲覧。
^ a b 犬童一男 . “自由党(イギリス) じゆうとう The Liberal Party #自由党から自由民主党へ ”. コトバンク . 日本大百科全書(ニッポニカ) . 2019年9月2日 閲覧。
^ The Times (31 December 1872), p. 5.
^ a b “小イギリス主義 しょうイギリスしゅぎ Little Englandism ”. コトバンク . ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 . 2019年9月2日 閲覧。
外部リンク