第2装甲師団 (2. Panzer-Division) は、第二次世界大戦 期のドイツ国防軍陸軍 に編成された装甲師団 (機甲師団, 戦車師団)の一つである。
第2装甲師団は1935年にドイツ国防軍に最初に編成された3つの装甲師団の一つである。第二次世界大戦開戦前に行われたオーストリア併合 の際には、当時の師団長を務めたハインツ・グデーリアン の提唱する"機甲電撃戦"の有用性を実証した。
1939年のポーランド侵攻 、1940年のフランス侵攻 に参加し、1941年にはバルカン半島 でのギリシャ侵攻(マリータ作戦) に参加した後、10月以降は東部戦線 での戦いに従事した。
第2装甲師団は中央軍集団 の指揮下でモスクワの戦い に参加した後も東部戦線に留まり、1943年のクルスクの戦い で大きな損害を出してフランスに後退し再編を受けた後は西部戦線でノルマンディーの戦い やバルジの戦い に従事し、終戦時にアメリカ軍に投降した。
歴史
第2装甲師団は1935年10月15日に、第1 、第3装甲師団 と共にドイツ国防軍の最初の装甲師団として編成された[ 1] 。
編成当時、ドイツはヴェルサイユ条約 により戦車の開発を大幅に制限されていた事もあり、1935年時点では機関銃を装備したI号戦車 の生産がようやく始まっていた程度で、2cm砲を装備したII号戦車 もまだ試作段階であった。[ 2]
1938年のオーストリア併合 の際には、師団長ハインツ・グデーリアン の元、ドイツ国内からオーストリアの首都ウィーンまでの680kmを48時間で走破し、電撃戦の有用性を実証した[ 3] 。
1939年のポーランド侵攻 では南部のクラコウ を目指して侵攻し大きな損害を出した[ 3] [ 4] 。
1940年5月のフランス侵攻作戦 では第1装甲師団 、第10装甲師団 (英語版 ) 、グロースドイッチュラント歩兵連隊 と共にXIX軍団 (英語版 ) を構成しベルギーからフランス北部に侵攻し、アブヴィル やブローニュ を占領した[ 5] 。ダンケルクの戦い でイギリス遠征軍を退却させた後はエーヌ川 沿いにフランス内部に侵攻した。1940年の年末頃には、第4戦車連隊が新編される第13装甲師団 (英語版 ) の基幹となるため、第2装甲師団の指揮下を離れる事となった。[ 3] [ 4] [ 6]
1941年4月には、第2装甲師団は第12軍 の隷下部隊としてバルカン半島 でのギリシャ侵攻作戦(マリータ作戦) に参加した。第2装甲師団は第5山岳師団 (英語版 ) 、第6山岳師団 (英語版 ) 、第72歩兵師団 (英語版 ) と共にギリシャ国内に侵攻し、アテネまで到達した[ 4] [ 6] 。作戦後、第2装甲師団は再編のためウィーンに帰還した。
1941年10月になると第2装甲師団は東部戦線 に派遣され、中央軍集団 の指揮下となりモスクワへ向かって侵攻した(モスクワの戦い )。その後、冬季になるとソ連軍の反攻が激しくなり、師団は後退した。1942年には第9軍 の指揮下で様々な作戦に従事した。1943年の夏にはドイツ側の反攻作戦であるツィタデレ作戦(クルスクの戦い )に従事したが、作戦は失敗し第2装甲師団も大きな損害を出した。その後、戦域の南部でドイツ軍のコーカサス/ヴォルガ方面への進軍を支援した[ 6] [ 7] 。
1943年後半に、第2装甲師団は再編のためフランス国内に後退し新型のパンター 中戦車などの補充を受けた。6月の連合軍によるノルマンディー上陸作戦 を受けて第2装甲師団はノルマンディーに移動し、イギリス陸軍 第7機甲師団 (英語版 ) と交戦した。その後第2装甲師団は敗色濃厚の中行われた反攻作戦(リュティヒ作戦 )に第116装甲師団 、第1SS装甲師団 、第2SS装甲師団 と共に参加した。この後、包囲されたファレーズからの脱出戦(ファレーズ・ポケット )で師団はほぼ壊滅した[ 6] [ 8] 。
この後ドイツ国内で第2装甲師団は再編されたが、戦車の定数は大きく減らされており、パンターを配備したのは1個大隊のみで、他の大隊はIV号戦車 やIII号突撃砲 のみを配備している状況であった[ 6] [ 8] 。
再編後、第2装甲師団は第5装甲軍 の指揮下でバルジの戦い に参戦する事となった。この時点で師団には58両のパンター、27両のIV号戦車、48両のIII号突撃砲が配備されていた。作戦が開始されると師団はバストーニュ に向かう重要地点への攻撃を開始したが、バストーニュはアメリカ軍第101空挺師団 により強固に防衛されており、作戦は失敗した。この後、第2装甲師団はアメリカ軍第2機甲師団 (英語版 ) 、イギリス軍第3戦車連隊 (英語版 ) と交戦し、撤退を余儀なくされた[ 9] [ 10] 。
1945年になると第2装甲師団はドイツ国内のライン川周辺やフルダ 近郊で戦い、5月7日にアメリカ軍に投降した[ 8] 。
構成
以下に第2装甲師団の基本的な編成状態を示す[ 1] 。
1939年 ポーランド侵攻時
第74砲兵連隊
第5偵察大隊
第38戦車駆逐大隊
第38工兵大隊
第38信号大隊
第82補給団
1943年 東部戦線
第3戦車連隊
第2装甲擲弾兵連隊
第304装甲擲弾兵連隊
第74砲兵連隊
第273対空大隊
第2装甲偵察大隊
第38戦車駆逐大隊
第38工兵大隊
第38信号大隊
第82装甲補給団
脚注
^ a b “Organizational History of the German Armored Formation 1939-1945 ”. cgsc.edu . United States Army Command and General Staff College . 2011年12月8日時点のオリジナル よりアーカイブ。15 June 2016 閲覧。
^ Mitcham, p. 3–9
^ a b c Mitcham, p. 46
^ a b c Stoves, p. 19
^ Beevor, p. 105.
^ a b c d e Mitcham, p. 47
^ Stoves, p. 20
^ a b c Mitcham, p. 48
^ Military Channel, Program "Tank Overhaul" ca 22:51, Wednesday 13 August 2008 (UTC) "18:00–19:00 hrs EDST", mixed documentary featuring M18 Hellcat refurbishment with interviews of WW-II veterans and expert commentary by WW-II historians.
^ Steven J. Zaloga. Battle of the Bulge 1944 2: Bastogne . pp 81-84
出典
関連項目