福田 敬太郎(ふくだ けいたろう、1896年9月24日 - 1980年1月15日)は、日本の商学者・経済学者。学位は、商学博士。神戸大学名誉教授。第3代神戸大学学長(在任:1959年12月16日 - 1963年12月15日)。名古屋学院大学初代学長。独自の観点で商学を体系化した「福田商学」で知られる[1]。弟子は荒川祐吉[2]。
略歴
1896年、大阪府大阪市東区で生まれた。大阪府立茨木中学校(現大阪府立茨木高等学校)、神戸高等商業学校(のちの神戸大学、1918年卒)、東京高等商業学校(のちの旧制東京商科大学、現一橋大学)専攻部に進学し、1920年に卒業。同期に平井泰太郎神戸大学名誉教授がいる[3][4]。
神戸高等商業学校では田崎慎治ゼミナールに所属し、卒業論文のテーマは「海上保険における再保険の研究」であった。東京高等商業学校では福田徳三の指導を受け、卒業論文のテーマは「Sir William PettyからDavid Ricardに至る英国貨幣学説」であった[4][1][3]。
1920年母校の神戸高等商業学校講師に着任し[1]、1922年に同教授[1]。経済通論の外書購読、商業学、取引所論を講じた[要出典]。1924年から1928年まで、アメリカのハーバード大学とケルン大学に留学し、ハーバード大学に「穀物取引における現物取引と先物取引に関する研究」を提出してMBAを取得[1](指導教授はMelvin Thomas Copeland教授、この論文は後に改良され、1929年に処女作『取引所職能論』として刊行された)[4][1][3]。
1929年、神戸商業大学助教授[1]。1949年の新制神戸大学設立の際には、商学部の設立を主張し、経営学部設立を主張する同僚の平井泰太郎教授と論争を行い[5]、同年初代経営学部長に就任[6]。神戸大学学長(1959年 - 1962年)を経て[1]、名古屋学院大学初代学長に就任した[1]。1966年勲二等旭日重光章受章[7]。1980年叙正三位、銀杯一組[8]。
日本商業学会の結成に参画し、1951年の結成後に常任理事に、1957年に副会長に、1965年から亡くなるまで会長の職に就いた[要出典]。また、キリスト教者であり、1929年から日本キリスト改革派神港教会の長老を50年にわたり務めた[1]。
"market distribution"および"marketing"の訳語として、「市場配給」という言葉をあてた[要出典]。
福田商学
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福田は、『商学総論』(1955年)において、商学研究の体系化を行った。『商学総論』の中から『商業総論』(1965年)と『商学原理』(1966年)という姉妹書に分割した。『商学総論』のうち、「商の意義」「商業の概念」「商業の発展傾向」「商学の任務」を抽出して『商学原理』(1966年)を刊行した。『商業総論』は、現代の市場経済社会の実相に必要な基礎知識や、商業現象の全般を客観的に論述している。
専攻
著書
単著
その他
脚注
関連項目
- 先代
- 新設
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- 神戸大学経営学部長
- 1949年 - 1956年
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- 次代
- 平井泰太郎
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神戸大学学長(第3代:1959年 - 1963年) 神戸経済大学長(1959年 - 1962年) |
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- 初代 田中保太郎 1949-1953
- 第2代 古林喜楽 1953-1959
- 第3代 福田敬太郎 1959-1963
- 第4代 柚木馨 1963-1965
- 事務取扱 国歳胤臣 1965-1966
- 第5代 八木弘 1966-1969
- 事務取扱/第6代 戸田義郎 1969-1971/1971-1975
- 第7代 須田勇 1975-1981
- 第8代 堯天義久 1981-1985
- 第9代 新野幸次郎 1985-1991
- 第10代 鈴木正裕 1991-1995
- 第11代 西塚泰美 1995-2001
- 第12代 野上智行 2001-2009
- 第13代 福田秀樹 2009-2015
- 第14代 武田廣 2015-2021
- 第15代 藤澤正人 2021-
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