矢田部 公望(やたべ の きんもち、生没年不詳)は、平安時代中期の官人・学者。矢田部稲吉あるいは大内記・矢田部名実の子。官位は外従五位下・文章博士。
経歴
延喜4年(904年)に開催された日本紀講筵に尚復として参加し、『日本書紀私記』の一つである『延喜公望私記』を著す。
左少史・権少外記を経て、承平2年(932年)外従五位下・大外記に叙任される。承平3年(933年)阿波介に任ぜられ地方官に転じた。承平6年(936年)の日本紀講筵では、文章博士として講師を務めている。
人物
『日本書紀私記』の一つである『延喜公望私記』は、父[1]または兄弟とされる[2]矢田部名実の残した『元慶私記』に、公望が自説を加えることで成立したと想定されているが、現在は散逸し、逸文として『釈日本紀』『和名抄』等に伝わっている。
『先代旧事本紀』の作者とする見解もある[3]。
官歴
注記のないものは『外記補任』による。
系譜
脚注
- ^ a b 鈴木[2007: 14]
- ^ a b c 鈴木真年『百家系図稿』巻1,矢田部宿禰
- ^ 藤原明『日本の偽書』
参考文献
- 鈴木豊「延喜『公望私記』の構造-引用形式と表記を中心に-」『論集 3』アクセント史資料研究会、2007年
- 太田亮『姓氏家系大辞典』角川書店、1963年