矢田部 名実(やたべ の なざね、生年不詳 - 昌泰3年(900年))は、平安時代前期の官人。矢田部稲吉の子とする系図がある。官位は六位・大内記。
経歴
元慶8年(884年)文章生に補され、寛平2年(890年)対策に及第する。河内権大掾・阿波権掾と地方官を歴任したのち、寛平9年(897年)少内記に任ぜられ、昌泰2年(899年)大内記に至る。昌泰3年(900年)卒去。
擬文章生であった元慶2年(878年)に開催された日本紀講筵に尚復として参加[1]、記録として『日本書紀私記』の一つである『元慶私記』をまとめたとされる。勅撰歌人として『古今和歌集』に和歌作品1首が採られている[2]。
官歴
『古今和歌集目録』による。
系譜
脚注
- ^ 『西宮記』第7,臨時,
- ^ 『勅撰作者部類』
- ^ a b 鈴木真年『百家系図稿』巻1,矢田部宿禰
参考文献
- 宝賀寿男『古代氏族系譜集成』古代氏族研究会、1986年