矢島 中(矢嶋 中[1]、やじま なか、1851年8月13日(嘉永4年7月7日[2]) - 1922年(大正11年)1月26日[3])は、衆議院議員(立憲政友会)、宇都宮市長。
経歴
宇都宮藩士・矢島官太郎の子として生まれ、戊辰戦争に従軍した。その後商業に従事していたが、自由民権運動に参加し、自由党に入党した[5]。1887年(明治20年)、栃木県会議員に当選[5]。1889年(明治22年)に宇都宮町長に就任し、1896年(明治29年)に市制が施行されると引き続き市長を務めた[5]。1901年(明治34年)に病のため市長を辞職するが、回復後には商業会議所特別会員、市農会名誉会員に選出された[6]。
1902年(明治35年)、第7回衆議院議員総選挙に出馬し、当選。4回連続当選を果たした。
脚注
- ^ 本姓。衆議院・参議院『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年、665頁。
- ^ 衆議院『第十八回帝国議会衆議院議員名簿』(第十八回帝国議会衆議院公報第一号附録)〔1903年〕、10頁。
- ^ 『政治家人名事典』
- ^ a b c 『新選代議士列伝』P.109
- ^ 『第二十八議会衆議院議員写真列伝』p.60
参考文献