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JRA所属の騎手の「田嶋翔」とは別人です。 |
田島 翔(たじま しょう、1983年4月7日 - )は、北海道北斗市(旧・上磯町)出身のサッカー選手、プロ競技麻雀団体・RMU所属のプロ雀士。
ポジションはミッドフィールダーで、サイドハーフやボランチでプレーすることが多い。
経歴
小学生の頃は野球部でピッチャーを務め、サッカーは5年生の時にサッカーチームができ並行してプレー[1]。中学生からはサッカーに専念するが、北海道函館工業高等学校では実績を残せなかった[1]。
卒業後はサッカー留学でシンガポールへ渡る。
帰国後、2003年にラモス瑠偉を中心に立ち上げたFC琉球の入団テストを受け、合格[2]。2005年の九州サッカーリーグ開幕前の練習試合で相手選手のタックルを受け、開放骨折の大怪我を負う。2007年オフに契約満了で退団[1]。
その後はクロアチア、スペインへ渡ったが、2011年の東日本大震災をきっかけに帰国を決意。
2012年、J2リーグのロアッソ熊本に入団[3]。
ロアッソ熊本退団後はフットサル転向を希望し、シュライカー大阪に入団。
その後シュライカー大阪を半年で退団し、2014年にニュージーランド・フットボールチャンピオンシップのオークランド・シティFCに入団。再びサッカー界に復帰した。
2015年、北海道サッカーリーグの十勝フェアスカイFCに加入[4]。
2016年、アメリカ・NPSLのマイアミ・ユナイテッドFCに移籍。元ブラジル代表のアドリアーノ[5]、またカフーの息子とチームメイトであった。
2017年、同国UPSLのラスベガス・シティFCと契約。ラスベガス初の日本人選手としての加入。UPSL開幕戦でゴールを決めデビュー戦勝利を飾る。日本とラスベガスを何度も往復しているうちに、空港の入国審査に引っかかり、留置所へ連行された経歴を持つ[6]。
2018年7月、韓国のソウル・ユナイテッドFCへ移籍[7]。翌年からは選手と兼任でコーチにも就任[8]。
日韓関係悪化の影響で、2020年は自身がアドバイザーを務める函館社会人リーグの FC函館ナチャーロ に移籍[9]。同年6月、FC函館ナチャーロの退団とヨーロッパ挑戦を発表。自らのTwitterで新型コロナウイルスの影響により、収入源であるサッカースクールの規模縮小が理由と語っている[10]。
2020年12月、サンマリノ・カンピオナート・サンマリネーゼのSSペンナロッサに入団。同リーグでプレーするのは日本人初[11]。2021年5月までプレーした。
2022年7月、プロ競技麻雀団体RMUの入会試験を受け合格。12月には、Jリーグ初代チェアマンで、Mリーグ最高顧問を務める川淵三郎へRMUに入会したことを報告している。
2023年8月、ブラジルのカンピオナート・パラナエンセに所属するクラブ・アトレチコ・カンベと契約。
小学生の頃、卒業文集に「ブラジルでプロになる」と書いた夢が、40歳にして叶った。
経営者、アドバイザーとして
- 2011年、スペインから帰国後、地元北斗市に小学生のクラブチーム「FC北斗アステリスモ」を設立[12][13]。
- 2017年、函館市からJリーグを目指すことを目標に設立されたFC函館ナチャーロのチームアドバイザーに就任[14]。
- 2017年、函館市と北斗市を拠点とするサッカースクール「フットライズサッカーアカデミー」を設立[15]。
- 2021年、熊本県の開新高等学校サッカー部の外部コーチ。
その他
- 2020年、サッカー・フットサルブランドのKELMEとサプライヤー契約を締結[16]。
- 憧れのプレーヤーはサッカーでは三浦知良、麻雀では多井隆晴である。
所属
- ユース経歴
- プロ経歴
成績
国内大会個人成績 |
年度 | クラブ | 背番号 | リーグ |
リーグ戦 |
リーグ杯 | オープン杯 |
期間通算 |
出場 | 得点 |
出場 | 得点 | 出場 | 得点 |
出場 | 得点 |
日本
| リーグ戦 |
リーグ杯 | 天皇杯
|
期間通算
|
2012 |
熊本 |
28 |
J2 |
0 |
0 |
- |
0 |
0 |
0 |
0
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通算 |
日本 |
J2
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0 |
0 |
- |
0 |
0 |
0 |
0
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総通算
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0 |
0 |
- |
0 |
0 |
0 |
0
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脚注・出典
関連項目
外部リンク