渡辺 二郎(わたなべ じろう、1955年〈昭和30年〉3月16日 - )は、日本の元プロボクサー(大阪帝拳ジム所属)、元WBA・WBC世界スーパーフライ級王者。2011年時点では暴力団幹部であった(山口組系極心連合会相談役)[1]。 コンバーテッドサウスポーであり、右利きのサウスポーだった。
岡山県小田郡矢掛町で生まれ、大阪府で育つ[2]。血液型B型。浪商高等学校(現・大阪体育大学浪商高等学校)、追手門学院大学文学部英米語学文学科卒業。高校時代は水泳部、大学時代は日本拳法部で活躍し、世界選手権で4位となった[3]。
大学卒業後に体重別のボクシングを志向、大阪帝拳ジムにアマチュアとして入門した。アマ戦績は4戦4勝。
引退後も実業家、ボクシング解説者、講演家、テレビタレントなど多方面で活躍していた。
1995年、金融機関からの融資返済に絡む恐喝未遂事件で逮捕され、起訴猶予処分で釈放された。
1999年、殺人事件で使用された自動小銃の売買に絡み銃刀法違反で逮捕・起訴され、公判では島田紳助が情状証人として出廷したが実刑判決を受け服役、2004年に出所した。
2007年6月4日、大阪府警岸和田署に知人の暴行事件を隠匿するために被害者に被害届の提出をさせないよう迫ったとして証人等威迫の疑いで逮捕されたが、一週間後に処分保留で釈放された。日本ボクシングコミッションは、渡辺を今後一切歴代の世界王者に列しない方針でライセンスの無期限停止処分とし、ボクシング界から事実上の永久追放処分となった[6]。
2007年6月30日には羽賀研二未公開株詐欺事件に絡み恐喝未遂(二項)の疑いで逮捕・起訴され[7]、大阪地裁で無罪判決を受けるが[8][9]、2011年に大阪高裁で懲役2年の逆転有罪判決を受け上告[10]、2013年4月1日に上告が棄却され懲役2年の2審判決が確定した[11]。この事件では両者に有利な証言をした弁護側証人が偽証罪で起訴されている。この際、渡辺が指定暴力団山口組系極心連合会関係者であることが報じられた。その後、極心連合会は2019年に解散しているが、渡辺の動向については明らかにはなっていない。
2011年、島田紳助引退騒動において、芸能界引退の原因となったメールの相手は渡辺であったと報道されている[12]。
2012年11月30日、暴力団関係者であることを隠してゴルフ場を利用したとして、詐欺容疑で指定暴力団山口組最高幹部と共に逮捕された[13][14] が、12月28日に嫌疑不十分で不起訴になった[15]。
2016年2月4日、『報道ステーション』で元刑事男性の「清原和博が大阪を拠点とする元世界チャンピオンのプロボクサーから暴力団員の紹介を受けた」との証言を報じられ、その後名誉毀損に当たるとしてテレビ朝日に1千万円の損害賠償を求め提訴した。2017年6月29日に大阪地方裁判所は、過去の経歴などを基に「報じられたのが渡辺だと視聴者が連想するのは想像に難くない」としてテレビ朝日に対し150万円の支払いを命じた[16][17]。
1982年4月8日 - 1984年7月5日(剥奪)
1984年7月5日 - 1986年3月30日