弥栄神社(やさかじんじゃ)は、長野県長野市上西之門町にある神社。
概要
善光寺山門の南西、仲見世通りの2本西側の西之門通りに面して鎮座する。普段は観光客の喧騒からも離れた小さな神社だが、古くは日本三大祇園祭にも数えられた「ながの祇園祭(弥栄神社御祭礼)」の舞台である。
創建は一説に1196年(建久7年)、源頼朝が信濃国を視察した際に、疫病除けのため京都八坂神社を勧請したという[1]。社地は1774年(安永3年)に善光寺大勧進住職から寄進されたもので、善光寺との関わりは今でも深い[2]。
歴史
境内
御祭礼(ながの祇園祭)
当神社の祭礼(弥栄神社御祭礼)は、京都の祇園祭と同様に屋台巡行が最大の行事になっている。この屋台巡行は、戦前には京都(八坂神社)、広島(厳島神社)に並ぶ「日本三大祇園祭」と呼ばれた大祭であったが、経済面や人手不足を原因として徐々に衰退[2]。松代群発地震の影響で1965年(昭和40年)から1967年(昭和42年)にかけて開催自粛したのをきっかけに、7年に一度の善光寺御開帳の年のみの開催となってしまった[2]。
その後、長野の夏のビッグイベントは、1971年(昭和46年)から始まった長野びんずる[3]に取って代わられることとなる[4]。しかし、かつて隆盛を極めたこの御祭礼の価値も見直され、2012年(平成24年)から「ながの祇園祭 御祭礼屋台巡行」として復活し[2]、現在では毎年屋台巡行が行われるようになっている。
当神社は前述の通り善光寺との関係も深く、江戸時代には善光寺大勧進の指揮のもとで御祭礼が行われ、善光寺御祭礼とも呼ばれていた[2]。現在でも、祭の最初と最後の神事には善光寺の僧侶が参列している[2]。
現在の様子
- 祭の流れ[2][5]
- 7月初頭 - 仮拝殿を本殿前に組み立て。
- 天王下ろし祭(7月7日)
- 宮司、その年の屋台巡行で御先乗りを務める少年、善光寺関係者、地元関係者が参列して、仮拝殿にて神事が行われる。
- かつて参拝者が初生りのきゅうりを奉納した習わしから、参列者・参拝者には御札ときゅうりが配られる。
- 宵山・宵宮(期間中の土曜日)
- 屋台巡行の前夜祭である。
- 宵山は、北石堂町のながの東急百貨店第一駐車場で開かれる。北石堂町・南石堂町の屋台が置かれ、様々な演目が披露される。このほか、各種振る舞いや飲食店の出張販売もある。
- 宵宮は、権堂町の秋葉神社境内で開かれる。権堂町の屋台が置かれ、同町の勢獅子(きおいじし)とともに様々な演目が披露される。
- 元善町宵山は、善光寺駒返橋前で開かれる。元善町の屋台が置かれ、前述の縁起物のきゅうりが振る舞われる。
- 屋台巡行(期間中の日曜日[6])
- 善光寺町の屋台巡行加盟20町が、それぞれの屋台を引く。2017年(平成29年)度は、このうち4町が巡行し、2町が置き屋台として参加した。
- 年番の町から選ばれた少年が「御先乗り」として、馬に跨り弥栄神社からもんぜんぷら座前(新田町)に向かう。各町を出発した屋台も、それぞれもんぜんぷら座前に集まる。
- 午前10時、ここで御先乗りの少年が注連縄を太刀で切り落とす(注連縄切り・綱切り式)と、屋台巡行の開始となる。
- 御先乗りを先頭に各町屋台とも中央通り(善光寺表参道)を北上。大門町・善光寺大本願前などで踊りを披露しながら善光寺山門に向かう。
- 昼頃、善光寺山門前で舞を奉納(山門答礼)した後、東之門町寛慶寺前・善光寺大勧進前・弥栄神社前でも舞を奉納する。
- その後、午後は各町分かれて長野市街地をくまなく回り、17時頃にそれぞれの町に戻る。
- 天王上げ祭(7月14日)
- 天王下ろし祭同様に神事が行われ、開かれていた本殿の扉が閉じられる。
- 7月下旬 - 仮拝殿を解体。
町名 |
種類 |
制作年 |
特徴 |
保存状況 |
直近の屋台巡行参加[7]
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大門町
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1. 踊り屋台 2. 底抜け 3. 本屋台 |
1. 1914年(大正3年) 2. 不明 3. 1859年(安政6年) |
1-2. 白木造 3. 山崎儀作(妻科)作 |
解体保存 |
2014年(平成26年)巡行
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元善町
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1. 踊り屋台 2. 底抜け 3. 本屋台 |
1. 1919年(大正8年) 2. 不明 3. 江戸末期〜明治初期 |
3. 伊勢町から譲受 |
解体保存 |
2017年(平成29年)巡行
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横沢町
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傘鉾 |
1873年(明治6年) |
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長野市立博物館展示 |
2017年(平成29年)展示
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西之門町
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1. 本屋台 2. 底抜け |
1. 1893年(明治26年) 2. 不明 |
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解体保存 |
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桜枝町
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本屋台 |
1895年(明治28年) |
山崎儀作(妻科)作。ケヤキ造、人形は神武天皇、天井に龍の彫刻 |
解体保存 |
2016年(平成28年)巡行
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栄町
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本屋台 |
1903年(明治36年) |
白木造(一部金漆塗り) |
解体保存 |
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西町上
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本屋台 |
1793年(寛政5年) |
総黒漆塗り、ケヤキ・ヒノキ材(長野市指定文化財) |
長野市立博物館展示 |
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東之門町
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二階建て |
大正末期 |
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解体保存 |
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伊勢町
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1. 踊り屋台 2. 底抜け |
不明 |
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解体保存 |
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岩石町
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1. 踊り屋台 2. 底抜け |
不明 |
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解体保存 |
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東町
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本屋台 |
1872年(明治5年) |
山崎儀作(妻科)作 |
組立保存 |
2017年(平成29年)置き屋台
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西後町
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本屋台 |
1872年(明治5年) |
山崎儀作(妻科)作。総ケヤキ造 |
解体保存 |
2015年(平成27年)巡行
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東後町
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踊り屋台 |
1918年(大正7年) |
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解体保存 |
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権堂町
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二階建て |
1913年(大正2年) |
和田三郎次(田町)作。上段が踊り屋台、下段が囃子方 |
解体保存 |
2017年(平成29年)巡行
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問御所町
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本屋台 |
1872年(明治5年) |
山崎儀作(妻科)作。総漆塗り、天井に金箔塗りの大鳳凰 |
解体保存 |
2014年(平成26年)巡行
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上千歳町
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踊り屋台 |
昭和初期 |
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解体保存 |
2013年(平成25年)巡行
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緑町
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本屋台 |
明治初期か |
北村喜代松一門作 |
組立保存 |
2015年(平成27年)巡行
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新田町
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1. 踊り屋台 2. 底抜け |
1. 1924年(大正13年) 2. 不明 |
1. 白木造、元は囃子方の屋台と一対で運行 |
解体保存 |
2015年(平成27年)置き屋台
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北石堂町
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本屋台 |
1936年(昭和11年) |
唯一の二輪屋台。1964年(昭和39年)正面柱右に昇龍、左に降龍の彫物を足す。 |
解体保存 |
2017年(平成29年)置き屋台
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南石堂町
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踊り屋台 |
1937年(昭和12年) |
釘を使用していない。 |
解体保存 |
2017年(平成29年)巡行
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南千歳町
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踊り屋台 |
1930年(昭和5年) |
白木造 |
解体保存 |
2016年(平成28年)巡行
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交通
脚注
外部リンク