廃帝(はいてい)は、南朝陳の第3代皇帝。姓は陳、諱は伯宗。文帝の長男。
生涯
永定2年(558年)2月に臨川王世子に立てられた。永定3年(559年)6月に文帝が即位すると、8月(一説に9月)に皇太子に立てられた。侯景の乱のときに建康の東宮は焼尽していたため、永福省に居住した。
天康元年(566年)4月に文帝が崩御すると、太極前殿で帝位についた。13歳の若年で即位したため、文帝の遺言で叔父の安成王陳頊(後の宣帝)が後見することになった。このため、陳伯宗自身には何ら実権がなく、陳頊の傀儡同然であった。光大2年(568年)11月、陳頊によって廃位され臨海王とされた。太建2年(570年)4月に殺害された。ただし、后と子の命は助けられている。
妻子
后妃
男子
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宋 | |
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斉 | |
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梁 |
- 武帝(502-549)
- (蕭正徳)(548-549)
- 簡文帝(549-551)
- (蕭棟)(551)
- (蕭紀)(552-553)
- 元帝(552-555)
- 敬帝(555)
- (蕭淵明)(555)
- 敬帝(重祚)(555-557)
- (蕭荘)(558-560)
- (西)宣帝(555-562)
- (西)明帝(562-585)
- (西)後主(585-587)
- (蕭銑)(618-621)
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陳 |
- 武帝(557-559)
- 文帝(559-566)
- 廃帝(566-568)
- 宣帝(569-582)
- 後主(582-589)
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