庄原市立東城小学校(しょうばらしりつ とうじょうしょうがっこう)は、広島県庄原市東城町川東にある公立小学校。
概要
庄原市東城町の中心地区に位置する小学校。児童数は263名(2013年5月現在)[1]。中国山地の山間部にある小学校としては中程度の規模を誇り、児童数は庄原市内の小学校で2番目に多い[2]。
沿革
経緯
1874年に西方寺(東城町東城183番地)に設立された誠心舎が起源であり、その後教育令により公立学校化、1884年に館町(東城町東城、五品嶽(ごほんがたけ)の麓)に校舎を建設し移転した。1887年に東城尋常小学校と改称、同時に東城高等小学校を校内に設立。1898年に東城尋常高等小学校と改称。国民学校令による東城国民学校への改称を経て、1947年の学制改革により東城町立東城小学校となった。その後、東城町による学校再配置計画によって2003年に菅竹小学校・宮原小学校を、2004年に久代小学校・戸宇小学校を統合。2005年に市町村合併により庄原市立東城小学校に改称し、2010年には庄原市による学校再配置計画により帝釈小学校を統合した。なお、二度の学校再配置計画により当校に統合した3校は廃校ではなく休校扱いになっている。
年表
- 1874年(明治7年) - 誠心舎として創立
- 1875年(明治8年) - 小学校則により下等・上等小学を設置、学級を編制
- 1879年(明治12年) - 教育令により公立小学校となる
- 1881年(明治14年) - 初等・中等・高等科設置
- 1884年(明治17年)3月 - 校舎建築(館町、東城町東城)
- 1887年(明治20年)4月 - 東城尋常小学校と改称、校内に東城高等小学校を設立
- 1898年(明治31年)8月 - 東城尋常高等小学校と改称
- 1941年(昭和16年)4月 - 東城国民学校と改称
- 1944年(昭和19年)8月 - 現在地へ移転
- 1947年(昭和22年)4月 - 東城町立東城小学校と改称
- 1952年(昭和27年) - 第二校舎建設
- 1958年(昭和33年)9月 - 屋内体操場(東城中学校と共用)完成
- 1967年(昭和42年)8月 - 水泳プール(東城中学校と共用)完成
- 1998年(平成10年)8月 - 第二校舎解体跡地に新校舎完成
- 2001年(平成13年)6月 - 水泳プールを新設
- 2003年(平成15年)4月 - 屋内体育館改築。東城町学校再配置計画に伴い菅竹小学校・宮原小学校を統合
- 2004年(平成16年)4月 - 東城町学校再配置計画に伴い久代小学校・戸宇小学校を統合
- 2005年(平成17年)3月 - 市町村合併により校名を庄原市立東城小学校と改称
- 2010年(平成22年)4月
- 庄原市学校再配置計画に伴い帝釈小学校を統合
- 校舎解体、新校舎の建築を開始
- 2012年(平成24年)11月 新校舎建設に伴う仮設校舎建設
- 2013年(平成25年)4月 新校舎建設工事開始
- 2014年(平成26年)3月 新校舎完成
- 2021年(令和3年)4月 庄原市学校再配置計画により八幡小学校と統合
学校行事
- 4月 - 始業式、入学式、家庭訪問
- 5月 - 1年生歓迎集会、学校田田植え
- 6月 - 5年いきいき体験学習
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- 7月 - 終業式
- 8月 - 校内水泳記録会
- 9月 - 始業式、運動会
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- 10月 - 修学旅行
- 11月 - 音楽交流会
- 12月 - 終業式
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- 1月 - 始業式
- 2月 - 児童会選挙、体験入学
- 3月 - 卒業式、修了式
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学区
- 庄原市東城町[3]
- 東城
- 川西
- 川東
- 福代
- 三坂
- 新免
- 菅(菅4、篠原を除く)
- 受原
- 竹森
- 戸宇
- 久代
- 帝釈未渡
- 帝釈宇山
- 帝釈山中(福田、蟶野、双葉を除く)
- 帝釈始終
進学先中学校
周辺施設
アクセス
- バス - 東城市街地循環バス、東城町内地域生活バス(備北交通)「東城小学校前」停留所より徒歩すぐ。
- 鉄道 - JR芸備線東城駅より徒歩7分。
関係者
出身者
脚注
- ^ 学校要覧 より。2013年8月4日閲覧。
- ^ 公式サイトより。2013年8月4日閲覧。
- ^ 庄原市公式サイト [1]、「庄原市公立学校の通学区域に関する規則」より。2013年8月4日閲覧。
- ^ 「選手名鑑 27 谷繁元信」『中日ドラゴンズ 公式サイト』中日ドラゴンズ、2008年。2008年10月17日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年4月28日閲覧。
関連項目
外部リンク