広橋 胤保(ひろはし たねやす)は、幕末の公卿。広橋光成の子。
1859年(安政6年)、参議兼左大弁。のち正二位権大納言。祐宮(のちの明治天皇)の習字師範。1863年(文久3年)、議奏となって公武合体につとめたため、王政復古で参朝をとめられた。1876年(明治9年)11月14日死去[2]。