山本 常夫日本福祉大学付属高等学校硬式野球部 監督 |
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基本情報 |
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国籍 |
日本 |
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出身地 |
大阪府 |
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生年月日 |
(1961-01-13) 1961年1月13日(63歳) |
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選手情報 |
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ポジション |
外野手 |
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経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) |
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選手歴 |
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監督・コーチ歴 |
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山本 常夫(やまもと つねお、1961年1月13日 - )は、日本の高校野球指導者[1]、元野球審判員。神村学園監督として、春2回、夏3回の甲子園出場を果たした[1]。
経歴
大阪府出身[1]。
近畿大学附属高等学校で中堅手として甲子園を目指したが、3年の夏には、大阪府大会決勝でPL学園に敗れ甲子園出場は果たせなかった[2]。
将来の指導者、教員を目指して日本体育大学へ進学し[2]、硬式野球部で外野手としてプレーし、後には母校の近畿大学附属高等学校でコーチを2年経験した[1]。
審判としての甲子園出場
その後、養護学校の教員や、クラーク記念国際高等学校の教員として勤務しながら[3]、大阪府や兵庫県で審判として高校野球に関わり続け[1]、2006年の第88回全国高等学校野球選手権大会では審判として甲子園に出場した[2]。
神村学園の監督として
2007年に鹿児島県の神村学園の保健体育科教諭、野球部監督となり[注 1]、2013年に退任するまでの間に、春の選抜高等学校野球大会では第81回(2009年)、第84回(2012年)、夏の全国高等学校野球選手権大会では第89回(2007年)、第93回(2011年)、第94回(2012年)に、甲子園出場を果たした。この間に神村学園で指導した選手の中には、柿澤貴裕らがいた[1]。
その後
2014年に福岡県の自由ケ丘高等学校の教諭、野球部副部長となり、2015年には監督、2016年には部長を務めた[3]。
2017年からは、愛知県の日本福祉大学付属高等学校の教諭、監督となった[3]。
2017年時点で、山本は、監督と審判として甲子園に出場した唯一の人物とされている[3]。
脚注
注釈
- ^ 厳密には、3月に期限付き契約の監督となり、同年夏に初出場した夏の甲子園の指揮を執った後、10月にコーチとなり、前任者の正式な退任を待って、2008年3月に正式に監督となっている。
出典
関連文献
- 田尻賢誉、氏原英明『指導力。 高校野球で脱・勝利至上主義を目指した11人の教師』日刊スポーツ出版社、2013年
- 政純一郎『番狂わせから見える甲子園』南方新社、2013年
- 田尻賢誉『道をひらく高校野球監督の名言』ベースボール・マガジン社、2014年
- 日本体育大学野球部OB会 編著『日体大野球部虎の巻』叢文社、2014年