2代坂口 平兵衛(さかぐち へいべえ、明治39年(1906年)2月15日 - 昭和61年(1986年)2月17日)は日本の実業家、政治家。坂口合名会社・代表社員会長。米子商工会議所名誉会頭。衆議院議員。幼名清太郎。
平兵衛によれば、「その頃の私は一種のやんちゃもんでして、柔道家の山根、佐伯、永見というような荒らくれ者とばかりつきあっていました。急に私が帰らなくてはならなくなった。先代の合名社長豊蔵が五十九歳で昭和五年に死亡し、私は豊蔵の養子になっていた。二十五歳だったが相続することになった。相続は(プラスの)財産を受けるのが当たり前ですが、私は十に余る会社の社長を引き受けた。それは借金を引き受けるということで、苦労を相続したのです。昭和六年は日本史上かつてない不景気な時代で、生糸、製鋼所、電気会社も苦労しました。時には十日もまともに食事をしない日がありました。その当時、国家が手厚い保護の手を伸べてくれ、電気も製鋼所も生糸事業も、元金に損害を与えずに合併することが出来たのです。合併とは経営を譲ったということです。一人の被害者も出さずに、利益を供与して解散することが出来た。これは珍しいことです。不景気でいかん時だったしねえ。そんな時に世界大戦が起き、政府が手厚い保護をして合併させて、銀行も事業も無傷で済んだ。その当時の政府も偉かったですね。」という[11]。
家系