和田 義信 (わだ よしのぶ)は、鎌倉時代の武士。和田義盛の子。通称六郎兵衛尉。
略歴
義信は和田義盛の六男として生まれた。建暦3年(1213年)、和田合戦で討死。享年28。
義信が合戦の際に上野国群馬郡赤坂荘白川郷に隠れ、さらに義信の子の正信のとき白川郷から赤坂荘に移り、孫の信高にいたって、この地を和田宿と改称したという伝承がある[2]。
高崎城の前身である和田城の築城主でもある[4]。
脚注
- ^ “高崎城”. 2022年9月19日閲覧。
- ^ “高崎城”. 2022年9月19日閲覧。
参考文献
- 『続群書類従 6上(系図部)』(続群書類従完成会、1957年、23p)
- 『高崎市史第1巻』(高崎市史編さん委員会 、1968年、152p)