吉田 兼敬(よしだ かねゆき)は、江戸時代前期から中期にかけての公卿・神道家・歌人。吉田兼起の子。官位は正二位。吉田神社の祠官、吉田家当主。
略歴
承応2年(1653年)、吉田兼起の子として誕生。初名は兼連。
祖父・吉田兼英は生来病弱で、大伯父・萩原兼従は一子相伝の奥義を吉川惟足に伝授した。しかし、父・兼起も伝授を受けることなく明暦3年(1657年)に卒去したため、幼くして家を嗣ぎ周囲の補佐を得て神道の教養を深めた。寛文5年(1665年)に諸社禰宜神主法度が発布され吉田家の権威が確立され、寛文8年(1668年)と同12年(1672年)に吉川惟足より返し伝授を受け、父祖の遺業の安定と拡充を図り家の基を固めた。
また、霊元天皇に『祓本』を相伝、次いで東山天皇に『祓本』を講じ、『御奉幣』『八雲神詠口訣』などの相伝にも奉仕した。
元禄10年(1697年)、名を兼敬と改めた。享保14年(1729年)、正二位となる。
享保16年(1732年)、薨去。
著作には『神道大意』『塩釜社縁起』『椋五所大明神由来』などがある。その他、『日本書紀』神代巻、『中臣祓』『六根清浄大祓』などの注釈書も遺しており、歌人としても知られ歌集も伝えられる。
系譜
関連項目