功山寺(こうざんじ)は、山口県下関市長府にある曹洞宗の寺。長府毛利家の菩提寺。山号は金山(きんざん)。中国三十三観音霊場第十九番札所、山陽花の寺二十四か寺第九番。
仏殿は、善福院釈迦堂とともに鎌倉時代の禅宗様建築を代表するもので、国宝に指定されている。
歴史
嘉暦2年(1327年)、虚庵玄寂を開山として臨済宗の長福寺として創建された。開基は北条時仲と推定されている。なお、仏殿の建立は上記創建年より早い元応2年(1320年)である。正慶2年(1333年)に後醍醐天皇の勅願寺となり、建武3年(1336年)には足利尊氏から寺領が寄進されるなど、朝野の尊崇を得て栄えた。
室町時代には大内氏の庇護を得、文明8年(1476年)には大内政弘によって復興された。弘治3年(1557年)、周防大内氏最後の当主大内義長が境内で自害した後、寺は一時衰退する。
慶長7年(1602年)、長府藩主毛利秀元が金岡用兼を招聘し、曹洞宗の笑山寺として再興した。慶安3年(1650年)、秀元の没後、功山寺に改名された。
幕末の文久3年(1863年)、七卿落ちで京を逃れた7名の公卿のうち5名が滞在。高杉晋作は当寺で挙兵した(回天義挙)。
文化財
国宝
- 仏殿 - 柱の墨書により元応2年(1320年)の建立と判明する。入母屋造、檜皮葺き。一重裳階(もこし)付き。方三間の身舎の周囲に裳階をめぐらした形になる。堂内には本尊千手観音坐像を安置する。典型的な禅宗様仏殿で、鎌倉時代にさかのぼり、建立年代の明らかなものとして貴重である。
県指定文化財
市指定文化財
国の登録有形文化財
- 総門 - 軸部は室町時代中期の形式を残すが、軒回りは江戸時代に改変されている。禅宗様、四脚門、木造、瓦葺き、間口4.4m[1]
- 旧長門尊攘堂 - 1933年築、鉄筋コンクリート造平屋建、瓦葺、建築面積315平方メートル。2016年まで、下関市立長府博物館本館として使用
境内
- 総門
- 山門
- 仏殿
- 法堂
- 書院
- 庫裡
- 鐘楼
- 経蔵
- 毛利家廟所
- 地蔵堂
- 高杉晋作像
墓所
その他
- 高杉晋作挙兵(回天義挙)像
- 旧長門尊攘堂 - 登録有形文化財。収蔵品は長府毛利家や明治維新関連のものが中心。
- 万骨塔 - 明治維新に殉じた志士を供養するため、全国から寄せられた石が組まれている。
交通アクセス
前後の札所
- 中国三十三観音霊場
- 18 宗麟寺 -- 19 功山寺 -- 20 大照院
- 山陽花の寺二十四か寺
- 8 東行庵 -- 9 功山寺 -- 10 木山寺
脚注
参考文献
- 『週刊朝日百科 日本の国宝 27』、朝日新聞社、1997(功山寺の解説執筆は町田一仁、日向進)
関連項目
ウィキメディア・コモンズには、
功山寺に関連するカテゴリがあります。
外部リンク