中村 近照(なかむら ちかてる)は、江戸時代前期の徳島藩の家老。阿波大西城主。初名は五郎吉。通称は美作。
生涯
父は徳島藩主の蜂須賀家家老である中村可近。
1646年(正保3年)に中村家の家督を継ぎ大西城代となる。高7千5百石。1654年(承応3年)、洲本執事職となる。
しかし、1656年(明暦2年)10月5日、洲本在番中に京都と大坂へ忍行し遊興にふけたため、不届きの儀が出され罷免され、仁宇山へ籠居となる。同年7月24日、中村家の家督は義弟である富淑が継いだ。
1672年(寛文12年)8月8日、没する。墓所は徳島県三好市にある桂林寺[1]。
脚注
- ^ “中村勘三郎さんが三好市へ先祖の墓参り”. 三好市 (2009年5月). 2017年11月10日閲覧。
参考文献
- 中山義純・牛田義文訳注『訳注 阿淡藩翰譜〔徳島藩・上級家臣録〕』(上田家文書)