上山田付城(かみやまだつけじろ)は、伊豆国田方郡韮山(静岡県伊豆の国市韮山金谷)にあった戦国時代の日本の城(山城)。
歴史
天正18年(1590年)、豊臣秀吉による小田原征伐の際に、韮山城攻めを仰せ付けられた家臣の一人である前野長康勢(1250人)によって築城され、ここに陣を置いた。前野長康は、俗に言う墨俣一夜城の築城における第一功労者であり、築城の才があったといわれる。また、上山田付城は上山田城(かみやまだじょう)や上山田陣城(かみやまだじんじろ)とも呼ばれ、陣城の役割を果たした。
城郭
上山田付城は昌渓院の北東約400m、韮山城の東にある比高140mの山の頂に築かれ、西北西方面には追越山付城が、南方面には昌渓院付城がある。韮山城からは死角にあり、あくまで陣城の役割なので、天守や櫓などは建造されなかった。大規模ではないが技巧的な構造の陣城であり、このような城郭の残る城は少ない。
複雑に組み合わされている土塁が郭を仕切り、山頂に中央郭がある。中央郭から東には尾根があり、桝形虎口、東郭、東郭(下段)、段郭が続いて形成されていて、その尾根に続くと昌渓院付城がある。中央郭から西には桝形虎口、西郭、桝形虎口、空堀、堀切が続き、そこから南にのびる尾根に段郭がある。中央郭の北にのびる尾根にも段郭があり、追越山付城に繋がっている。
アクセス
上山田付城のある山には登山ルートや駐車場などはない。
参考文献
- 『伊豆韮山籠城戦の付城と仕寄遺構』土屋比都司著
- 『静岡の山城ベスト50を歩く』加藤理文・中井均(編)/ サンライズ出版