ロックフォード (USS Rockford, PF-48) は、アメリカ海軍の哨戒フリゲート。タコマ級フリゲートの1隻。艦名はイリノイ州ロックフォードに因む。
艦歴
ロックフォードは当初 PG-156 (砲艦)として1943年8月28日にカリフォルニア州ウィルミントンのコンソリデーテッド・スチール社で起工した。1943年9月27日にハリー・L・クロッツアー夫人によって命名、進水し、1944年3月6日に艦長D・H・バートレット沿岸警備隊中佐の指揮下就役した。
ロサンゼルス沖での整調後、太平洋艦隊に加わり1944年6月25日に南西太平洋に向かう。7月2日に敵潜水艦と遭遇、爆雷による攻撃を行い損傷を与えた。7月7日にも敵潜水艦と遭遇し、ヘッジホッグによる攻撃を行った。その後エスピリトゥサント島を経由して7月23日にオーストラリアのケアンズに到着した。
8月2日にロックフォードはミルン湾に投錨し、同地を拠点としてニューギニア沖で船団護衛および対潜哨戒任務に従事した。9月23日にアドミラルティ諸島のマヌス島へ向かう。
ニューギニアに帰還した後10月15日に出航、マヌス島を経由して真珠湾に向かう。途中11月13日に掃海艇のアーデント (USS Ardent, AM-340) と共に敵潜水艦を撃沈する。潜水艦は戦後の調査で伊号第十二潜水艦であるとされた。ロックフォードは11月17日にサンフランシスコに到着、予定されていた修理作業が行われた。
その後1945年1月4日に、アラスカン・シー・フロンティアで船団護衛任務に就き、8月までダッチハーバー、コールド・ベイ、エイダックで AM-222 グループの水先船として働いた。
ロックフォードはレンドリース法に基づき1945年8月27日にソ連海軍に貸与された。ソ連では「護衛艦」を意味する「EK」の略号を付与され、EK-20 の名で就役した。ソ連での任務を終えると1949年11月1日に横須賀で返還された。1950年10月23日に大韓民国に貸与され、鴨綠江(アムノッカン、ROK Amnokgang, PF-62)として就役、北朝鮮に対する封鎖任務に従事した。その後1952年9月3日に返還され予備役のまま保管、1953年5月26日に除籍され、1953年9月30日に標的艦として海没処分された。
ロックフォードは第二次世界大戦の戦功で2個の従軍星章を受章した。
参照
外部リンク