ラルフ・ラングニック (Ralf Rangnick、1958年 6月29日 - )は、ドイツ ・バーデン=ヴュルテンベルク州 バックナング 出身の元アマチュアサッカー選手 、実業家 、現サッカー指導者。
経歴
指導者時代
VfBシュトゥットガルト に在籍するも、プロにはなれなかった。アマチュアのクラブでプレーし、選手兼監督を務めることもあった。1996-97シーズンにはSSVウルム1846 を2部に昇格させ、VfBシュトゥットガルト の監督に抜擢された。1999-2000シーズンのドイツ・カップ 準優勝、UEFAカップ ベスト16など結果を残した。
シャルケ04監督時代(2005年)
2001年にハノーファー96 の監督に就任すると1部昇格を果たした。2004-05シーズン途中に就任したシャルケ04 では就任1年目からリーグ戦2位の成績を残した。しかし、当時のゼネラル・マネージャー、ルディ・アサウアーとの確執が囁かれ、2005-06シーズン終了時の退任を決断していたが[2] 、辞任する前の2005年12月12日に解任された。
ホッフェンハイム監督時代(2007年)
2006年夏、ディートマー・ホップ オーナーの招きでドリッテリーガ (3部)にいたTSG1899ホッフェンハイム の監督に就任し、わずか2年でブンデスリーガ (1部)に昇格させた。その後も、チームの躍進に貢献するも、2011年1月2日、クラブがラングニックの同意なしに、主力選手であったルイス・グスタヴォ をバイエルン・ミュンヘン へ売却したことで首脳陣と衝突、ホッフェンハイムの監督を辞任すると発表した[3] 。
同年3月17日、ブンデスリーガでの成績不振により解任されたフェリックス・マガト に代わってシャルケ04 の監督に復帰することが発表されたが[4] 、同年9月22日にバーンアウト(燃え尽き症候群 )に陥り[5] 、健康上の理由で辞任した[6] 。
レッドブル傘下クラブ・開発スタッフ就任
2012年7月、エナジードリンク 『レッドブル 』などの販売を手掛けるレッドブル・グループ が運営する2つのクラブ、レッドブル・ザルツブルク とRBライプツィヒ の統括スポーツディレクター に就任し、指南役として両クラブのために戦術書を作って配り、「タレントに投資してさらに高く売る」という独自の移籍戦略を推し進めた。その戦術の中に「ボール奪取から8秒以内にシュートに持ち込まなければならない」という「8秒ルール」がある[7] 。この「ラングニック学校」ともいうべきクラブからロガー・シュミット やアレクサンダー・ツォルニガー 、ペーター・ツァイドラー という監督を輩出した。
2015-16シーズンを前にレッドブル・ザルツブルク の仕事を後任に託し、2015年当時ドイツ2部 にあったRBライプツィヒ のスポーツディレクターとしての仕事に専念しようとしたが、人事において新監督招聘に失敗したため、兼任のまま自らRBライプツィヒの監督に就任し現場に復帰した[8] 。監督として迎えた2015-16シーズンは序盤から首位争いを繰り広げ、最終的にSCフライブルク に優勝こそ譲ったものの、2016年5月8日の第33節、カールスルーエSC 戦に勝利し、自動昇格となる2位を確定させ、創設8年目にして悲願のブンデスリーガ 昇格に導いた[9] 。シーズン終了後に新監督としてインゴルシュタット 監督であったラルフ・ハーゼンヒュットル の招聘に成功したことから退任し、スポーツディレクター職に専念することになった。
RBライプツィヒ監督時代(2019年)
2018-19シーズン、RBライプツィヒにスポーツディレクター兼任のまま再度現場に復帰。内定している新監督の着任が2019-20シーズンからのため、それまでの1年間を繋ぐ監督を務めると発表[10] 。チームはリーグ戦で常に上位をキープし、昨年を上回る3位でUEFAチャンピオンズリーグ 出場権を獲得。国内カップ戦DFBポカール では、決勝まで進出するなどの好成績を収めた。
そして翌シーズンから予定通りユリアン・ナーゲルスマン 監督が就任し、自身はまた本来の裏方業務に戻ったが、スポーツディレクターも同時に退任[11] 。2019年7月より、レッドブル・グループのサッカー開発部門責任者(Head of Sport and DevelopmentSoccer)に異動し、北米・南米方面の強化担当にも就いた[12] 。
2020年7月31日、レッドブル・グループのサッカー開発部門責任者を辞職したことを発表した[13] 。今後は監督業復帰の意向と報じられている。
レッドブル・グループ離脱以降
2020年夏には、ACミラン 監督就任も報じられたが、破談に終わり、2021年7月にレッドブル・グループでの経験を生かしたクラブ経営への助言、スタッフ・監督・選手への指導を業務内容とするコンサルティング会社を設立した。7月6日、コンサルティング会社の初仕事としてFCロコモティフ・モスクワ の強化責任者に就任したことが発表された[14] 。
マンチェスター・ユナイテッドFC
2021年11月29日、ロコモティフ・モスクワとの契約を解消し、プレミアリーグ のマンチェスター・ユナイテッドFC の暫定監督就任が発表された。契約期間は2021-2022シーズン終了までだが、契約終了後はコンサルタントに就任することも同時に発表されている[15] 。
オーストリア代表
2022年4月29日、2021-22シーズン終了後にオーストリア代表 の監督に就任することが発表された[16] 。マンチェスター・ユナイテッドのコンサルタントと兼任するとしていたが一転して5月29日、マンチェスター・ユナイテッドとの契約を解消。オーストリア代表監督に専念することになった[17] 。
戦術・ラングニック派
1990年代後半のドイツ国内では3バックとマンマークディフェンス が主流であったが、当時既にラングニックは近代的な4バックとゾーンディフェンス を採用し革新的な戦術家として注目を集めていた[18] 。
試合の展開に応じてシステムの修正を行うが、RBライプツィヒ時代には2列目の2人をより中央に寄せて配置した4-2-2-2を使用した[19] 。「8秒以内にボールを奪い、10秒以内にゴールへ至る」[20] という本人の言葉通り、ボールを失ったタイミングで激しいプレッシングを仕掛け、高い位置で再びボールを奪取し素早くゴールに迫るという戦術コンセプトを持つ。同じドイツ人監督でハイプレスを用いたユルゲン・クロップ と共に「ゲーゲンプレッシングの生みの親」とも称され[18] 、ラングニック本人は自身の極端に激しいプレッシング戦術を「エクストリーム・プレッシング」と呼んでいる[21] 。2012年にザルツブルク及びライプツィヒのSDに就任して以降、ラングニックは自身のプレッシング戦術を「レッドブル・スタイル」として確立させ[22] 、戦術書を作成し傘下クラブに浸透させた。
ラングニックに師事した指導者の中でラングニックの哲学を共有する監督は「ラングニック派 」と呼ばれる。ロガー・シュミット [19] 、オリバー・グラスナー [23] 、ユリアン・ナーゲルスマン [24] 、マルコ・ローゼ [24] 、アディ・ヒュッター [24] らはラングニック派の代表格とされ、ラングニックに師事した後にドイツのクラブで監督を務めている。
指導者成績
2022年9月25日時点
クラブ
国
就任
退任
記録
試
勝
分
敗
勝率
VfBシュトゥットガルトII
1985年7月1日
1987年6月30日
7001700000000000000♠ 70
7001280000000000000♠ 28
7001160000000000000♠ 16
7001260000000000000♠ 26
0 7001400000000000000♠ 40.00
SSVロイトリンゲン
1995年7月1日
1996年12月31日
7001510000000000000♠ 51
7001260000000000000♠ 26
7001120000000000000♠ 12
7001130000000000000♠ 13
0 7001509800000099999♠ 50.98
SSVウルム1846
1997年1月1日
1999年3月16日
7001750000000000000♠ 75
7001360000000000000♠ 36
7001180000000000000♠ 18
7001210000000000000♠ 21
0 7001480000000000000♠ 48.00
VfBシュトゥットガルト
1999年5月3日
2001年2月23日
7001860000000000000♠ 86
7001360000000000000♠ 36
7001160000000000000♠ 16
7001340000000000000♠ 34
0 7001418600000000000♠ 41.86
ハノーファー96
2001年7月1日
2004年3月7日
7001980000000000000♠ 98
7001440000000000000♠ 44
7001220000000000000♠ 22
7001320000000000000♠ 32
0 7001449000000000000♠ 44.90
シャルケ04
2004年9月28日
2005年12月12日
7001650000000000000♠ 65
7001360000000000000♠ 36
7001150000000000000♠ 15
7001140000000000000♠ 14
0 7001553800000000000♠ 55.38
TSG1899ホッフェンハイム
2006年7月1日
2011年1月2日
7002166000000000000♠ 166
7001790000000000000♠ 79
7001430000000000000♠ 43
7001440000000000000♠ 44
0 7001475900000000000♠ 47.59
シャルケ04
2011年3月21日
2011年9月22日
7001230000000000000♠ 23
7001100000000000000♠ 10
7000300000000000000♠ 3
7001100000000000000♠ 10
0 7001434800000099999♠ 43.48
RBライプツィヒ
2015年5月29日
2016年6月30日
7001360000000000000♠ 36
7001210000000000000♠ 21
7000700000000000000♠ 7
7000800000000000000♠ 8
0 7001583300000000000♠ 58.33
RBライプツィヒ
2018年7月9日
2019年6月30日
7001520000000000000♠ 52
7001290000000000000♠ 29
7001130000000000000♠ 13
7001100000000000000♠ 10
0 7001557700000000000♠ 55.77
マンチェスター・ユナイテッド (暫定)
2021年12月2日
2022年5月22日
7001310000000000000♠ 31
7001110000000000000♠ 11
7001120000000000000♠ 12
7000800000000000000♠ 8
0 7001354809999999999♠ 35.48
オーストリア
2022年6月1日
現在
7000600000000000000♠ 6
7000100000000000000♠ 1
7000100000000000000♠ 1
7000400000000000000♠ 4
0 7001166700000000000♠ 16.67
合計
7002756000000000000♠ 756
7002356000000000000♠ 356
7002176000000000000♠ 176
7002224000000000000♠ 224
0 7001470900000000000♠ 47.09
タイトル
指導者時代
ウルム
シュトゥットガルト
ハノーファー
シャルケ
DFBポカール : 2010-2011
DFLスーパーカップ : 2011
DFBリーガポカール :2005
脚注
外部リンク