メティン・オクタイ(トルコ語: Metin Oktay、1936年2月2日 - 1991年9月13日)は、トルコの元サッカー選手。元トルコ代表。ポジションはFW。
選手初年度から5年連続で地域リーグの得点王に輝き、その翌年に発足したトルコ全国1部リーグでも3年連続、合計6回得点王に輝いたトルコサッカー史に残るストライカーである。サッカー選手としての殆どをガラタサライで過ごし、1966-67シーズンを除く13シーズンではクラブで一番の点取り屋であったが、リーグ制覇は4回に止まったため、ガラタサライのファンからは無冠の帝王(Taçsız Kral)と呼ばれていた。
クラブ歴
1936年2月2日、イズミル県カルスヤカの生まれ[1]。父は工場労働者、母は主婦であった[1]。
1952年にダムラツクスポル、翌年にユン・メンスカトに所属した。1954年にアンダー代表に招集されると、同年にイズミルスポルに完全移籍し選手となった。選手初年度からイズミル・フットゥボル・リギで17得点を記録しリーグ得点王に輝いた。
翌1955年にギュンデュズ・クルチの誘いでイスタンブル・フットゥボル・リギ所属のガラタサライに完全移籍。19歳ながらシボレーの車と引き換えに5年契約を締結した。初年度から19得点をあげて得点王に輝くと、その後リーグ解消までの4年間得点王で在り続けた。1959年に全国リーグが発足してもそれは変わらなかった。1960年にはクラブ史上初の大型契約で契約更新、これと引き換えに彼は、イズミルスポルに戻ってプレーしてほしかった妻と離婚した。同年12月のフェネルバフチェSK戦では4得点を記録し5-0の大勝の立役者になると、ライバル相手に大勝を齎した彼に対して専用の応援歌が作られ、さらに現役であるにも関わらず半生を辿る映画まで作られた。
1961-62シーズンにはUSチッタ・ディ・パレルモに在籍したが、12試合3得点と揮わず、1シーズンでガラタサライに帰還した。
復帰した1962-63シーズンも得点王となったが、翌シーズンはイタリア時代を除くと初めて得点王を逃した。それでも翌1964-65シーズンに再び得点王に輝いた。1966-67シーズンにはクラブ内の得点王もアイハン・エルマスタショールに譲ったが、1968-69シーズンに再びリーグ得点王に輝いた。この全国リーグ6回目、累計11回目の得点王の獲得とともに引退した。
選手としては全国1部だけで累計217得点を記録し、この記録はタンジュ・チョラクが破るまで史上最多記録であった。また、ダービーマッチに強い選手としても知られ、フェネルバフチェ相手に累計18得点、特に1959年の試合でゴールネットに穴を開けたゴールはサポーターの間で語り継がれている。まあ、ベシクタシュJK相手にも累計13得点を記録している。
代表歴
1954年にアンダー代表としての出場経験がある。
1955年12月18日のポルトガル代表との親善試合でA代表初出場を記録した[2]。トルコ代表としては累計36試合19得点の記録を有している。
選手引退後
引退後はそのままガラタサライでアシスタントコーチに就任。同シーズンにトップチームの監督も務めた[3]。その後、ブルサスポルの監督も経験した[4]。
1991年9月13日、イスタンブールで交通事故のため、死亡した[1]。
功績
彼の命日である9月13日には、イスタンブールにある彼の墓にガラタサライサポーターが毎年集まって追悼する文化が根付いている。また、ガラタサライの練習施設名はフロルヤ・メティン・オクタイ・テシスレリであり、彼の名前がつけられている。
個人成績
太字は得点王を表している。
国内大会個人成績 |
年度 | クラブ | 背番号 | リーグ |
リーグ戦 |
リーグ杯 |
期間通算 |
出場 | 得点 |
出場 | 得点 |
出場 | 得点 |
トルコ
| リーグ戦 |
トルコ杯 |
期間通算
|
1954-55 |
イズミルスポル |
|
イズミル |
18 |
17 |
- |
18 |
17
|
1955-56 |
ガラタサライ |
|
イスタンブル |
17 |
19 |
- |
17 |
19
|
1956-57 |
|
29 |
26 |
- |
29 |
26
|
1957-58 |
|
26 |
29 |
- |
26 |
29
|
1958-59 |
|
16 |
22 |
- |
16 |
22
|
1959 |
|
1部 |
15 |
11 |
- |
15 |
11
|
1959-60 |
|
33 |
33 |
- |
33 |
33
|
1960-61 |
|
30 |
36 |
- |
30 |
36
|
イタリア
| リーグ戦 |
イタリア杯 |
期間通算
|
1961-62 |
パレルモ |
|
セリエA |
12 |
3 |
0 |
0 |
12 |
3
|
トルコ
| リーグ戦 |
トルコ杯 |
期間通算
|
1962-63 |
ガラタサライ |
|
1部 |
26 |
38 |
7 |
4 |
33 |
42
|
1963-64 |
|
32 |
18 |
6 |
7 |
38 |
23
|
1964-65 |
|
22 |
17 |
6 |
3 |
28 |
20
|
1965-66 |
|
26 |
19 |
5 |
1 |
31 |
20
|
1966-67 |
|
17 |
10 |
1 |
0 |
18 |
10
|
1967-68 |
|
27 |
18 |
6 |
3 |
33 |
21
|
1968-69 |
|
30 |
17 |
8 |
4 |
38 |
21
|
通算 |
トルコ |
1部
|
258 |
217 |
39 |
22 |
297 |
239
|
トルコ |
イズミル
|
18 |
17 |
- |
18 |
17
|
トルコ |
イスタンブル
|
86 |
94 |
- |
86 |
94
|
イタリア |
セリエA
|
12 |
3 |
0 |
0 |
12 |
3
|
総通算
|
374 |
331 |
39 |
22 |
413 |
353
|
参考文献
外部リンク
タイトル・受賞歴 |
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1950年代 | |
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1960年代 | |
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1970年代 | |
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1980年代 | |
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1990年代 | |
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2000年代 | |
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2010年代 | |
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2020年代 | |
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1950年代 | |
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1960年代 | |
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1970年代 | |
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1980年代 | |
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1990年代 | |
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2000年代 | |
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2010年代 | |
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