マーク・ジンドラック (Mark Robert Jindrak 、1977年 6月26日 - )は、アメリカ合衆国 のプロレスラー 。ニューヨーク州 オーバーン 出身[1] 。
CMLL 、AAA といったメキシコ のプロレス団体ではマルコ・コルレオーネ (Marco Corleone )のリングネームで活動している事で知られる。
来歴
WCW
1999年 、アメリカ のメジャー団体であるWCW と契約を交わし入団。傘下のトレーニング施設であるパワープラント でトレーニングを開始。3月2日、Saturday Night にてチャック・パルンボ とソウルサーファーズ なるタッグチームを結成してプロレスラーデビューを果たす。
2000年 6月26日、Nitro にてショーン・オヘア とタッグを結成して活動。7月よりミスフィッツ・イン・アクション と抗争を展開するが、WCW世界タッグ王座 の奪取を目論むパーフェクト・イベント (チャック・パルンボ & ショーン・スタージャック )と意見が合致。また、マイク・サンダース がユニット結成を提案した事からナチュラル・ボーン・スリラーズ を結成。9月25日、WCW世界タッグ王座争奪6wayバトルロイヤルに勝利してベルトを奪取した。12月、オヘアがパルンボと組む事になり、ジンドラックはスタージャックとタッグを組む。しかし、オヘア & パルンボの影に隠れていたことで、スタージャックと共に反旗を翻した事でナチュラル・ボーン・スリラーズは解散となった。
2001年 2月、WCW世界タッグ王座を保持していたオヘア & パルンボと抗争を展開。18日のPPV、SuperBrawl Revengeにて決着戦を行うが敗戦した。
WWE
2001年3月、WCW崩壊後はWWF と契約を交わし入団。WCW & ECW 連合軍であるアライアンス の一員として登場するが7月9日のRAW でのチームECW vs チームWCW vs チームWWFによる20人バトルロイヤルでの出場のみとなり、ハウスショーや前座番組のJakked が中心となっていた。8月より傘下団体であるHWA(Heartland Wrestling Association)へと降格し、10月にはOVW へと移籍。
2002年 9月1日、OVW Fall Brawl Specialにてオヘアとシングルマッチを行い勝利。10月よりWWEへと昇格するもHeat やハウスショーでの出番のみとなり、再び降格。
WWE時代
2003年 5月、WWEへと再昇格してRAWに所属。ギャリソン・ケイド とタッグを組んで活動。12月1日にはRAWにてWWE世界タッグ王座 を保持するダッドリー・ボーイズ に挑戦するもわずか2分で敗戦。12月14日、Armageddon 2003 にてWWE世界タッグ王座争奪タッグターモイルガントレットマッチに出場するも王座を奪取ならず。
2004年 3月14日、WWE WrestleMania XX にてWWE世界タッグ王座争奪4wayマッチに出場するが奪取ならず。4月よりドラフト にてSmackDown! へと移籍することになり、セオドア・ロング をマネージャー に従えて、ナルシスト ギミックへと変更。毎回リング上に鏡が置かれ、自分の筋肉美に酔いしれた。9月よりGM を務めていたカート・アングル の用心棒としてルーサー・レインズ と共に活動。アングルとビッグ・ショー との抗争に加担し、12月12日のPPVであるArmageddon 2004 にてアングル & ジンドラック & レインズ vs ビッグ・ショーの3対1によるハンディーキャップマッチを行うが敗戦し、抗争は終了した。
2005年 、レインズとのタッグを継続し、ジ・アンダーテイカー やレイ・ミステリオ & エディ・ゲレロ などと抗争を展開するが特にインパクトを残すことができずに7月にWWEから解雇となった。
インディー団体
WWE解雇後、2005年10月に新日本プロレス に参戦するために初来日を果たす。8日、PPVである闘魂創造~NEW CHAPTER~に出場し、チーム・ジャパン VS 元WWEと題された試合でチャーリー・ハース と組んでチーム・ジャパン (中西学 & ケンドー・カシン )と対戦するが敗戦。以降、Toukon Series 2005 ~ Battle Final 2005までマット・モーガン とタッグを組んで出場。
2006年 1月、NWE (New Wrestling Entertainment )、DSW などのインディー団体に参戦。4月20日、日本の団体であるハッスル に参戦。インリン の番犬としてモーガンと共にソドムとゴモラ のギミックであるソドム (Sodom )、モーガンはゴモラで登場。タッグイリュミネーションマッチにてジャイアント・バボ & インリン & 川田利明 & 安生洋二 と組んで小川直也 & レイザーラモンHG & 大谷晋二郎 & TAJIRI と対戦して勝利した。
CMLL
2006年 5月、メキシコ のメジャー団体であるCMLL と契約を交わし入団。12日、16人トルネオ・シベルネティコグランプリに出場するが勝利するに至らなかった。9月19日、映画、ゴッドファーザー の登場人物であるコルレオーネ家を基にしたイタリア人マフィアのギミックであるマルコ・コルレオーネ (Marco Corleone )のリングネームで登場。鈴木健想 をパートナーとして活動。
2007年 3月30日にはウニベルソ・ドスミル と、2008年 10月17日にはリスマルク・ジュニア とカベジェラ・コントラ・カベジェラマッチ を行い、いずれも勝利して髪を剃った。
AAA
2009年 3月、AAA へと移籍。サイコ・サーカス 、ラ・リージョン・エクステンヘラ と抗争して窮地に陥っていたバンピーロ 、ラ・パルカ といったベテランレスラー達の助っ人として登場。コパ・アントニオ・ペーニャ やカンペオナート・プレミア といったトーナメントでは決勝まで進出するもいずれもタイトルを獲得する事ができなかったものの、CMLLで相棒だった鈴木と抗争を展開した。
2010年 3月、AAAから退団。
インディー団体
AAA退団後、ペロス・デル・マール 、FULL(Federacion Universal De Lucha Libre)、IWL(International Wrestling League)といったインディー団体に転戦後、6月よりアメリカのLLUSA(Lucha Libre USA)に参戦。LLUSAヘビー級王座を巡ってリスマルク・ジュニア、RJブリュワー と抗争した。
CMLL
2011年 12月、CMLLに復帰。マキシモ & ルーシュ とラ・テルシア・センセーション なるトリオユニットを結成して活動し、2012年 2月19日、CMLL世界トリオ王座 を保持するロス・イホズ・デル・アベルノ (アベルノ & メフィスト & エフェスト )と対戦して勝利し、ベルトを奪取した。8月より開催されたカンペオン・ウニベルサル では一回戦で新日本プロレスの棚橋弘至 と対戦するが敗戦した。
2014年 9月より開始されたコパCMLLにてルーシュと組んで出場。決勝まで進出し、16日にラ・パステ・ネグラ (エル・バルバロ・カバルナリオ & ミステル・ニエブラ )と対戦して勝利し、優勝を飾った。
またロス・インゴベルナブレス のメンバーとしても活躍中。
得意技
フィニッシュ・ホールド
エア・コルレオーネ
フィニッシャー。相手をコーナーに追いつめてランニング・クロス・ボディ を仕掛ける。
マーク・オブ・エクセレンス
WWE在籍時代のナルシストギミックの頃から使用し始めたフィニッシャー。
バックドロップの体勢で持ち上げた状態で、ロック・ボトム のように叩きつける技。「マーク・オブ・エクセレンス」の「マーク」は自身のリングネームであるMark Jindrak マーク・ジンドラックのマークであると同じに、Mark (〜を残す、〜の象徴を、)の意味も持つ。この場合は完璧なる象徴 という意味になる。
左ストレート
SmackDown!時代末期のベビーターン時に、退団するまで使用していたフィニッシャー。
当時ジンドラックはギミック上、手の甲の中に金属ギプスを入れていた為、ただのストレートなのだが一発で相手を失神できるほどの技、という設定になっていた。
打撃技
ドロップキック
その巨体からは想像できないほど跳躍力のあるドロップキック はプロレス業界でもトップクラスの美技と称されている。味方が抱き上げた相手の顔面ヘドロップキック を放つ合体技もある。
ビッグブーツ
クローズライン
飛び技
ダイビング・クローズライン
ジンドラックの場合、手を使わずそのままトップロープに飛び乗ってから仕掛けることが多い。
関節技
アルゼンチン・バックブリーカー
投げ技
スープレックス
スーパープレックス
タイトル歴
WCW
w / ショーン・オヘア
CMLL
w / ルーシュ & マキシモ
w / ルーシュ
IWL
IWRG
闘龍門メキシコ
w / ウルティモ・ドラゴン & 佐々木健介 : 2007年
w / ウルティモ・ドラゴン & アレックス・コズロフ : 2008年
CLAW
脚注
外部リンク