GT8形(3次車、GT8N形) (2005年 撮影)
フライブルク市電GT8形電車 (フライブルクしでんGT8がたでんしゃ)は、ドイツ の都市であるフライブルク・イム・ブライスガウ の路面電車 のフライブルク市電 (ドイツ語版 ) に導入された車両 。フライブルク市電の線形条件に適した特殊な連接構造 を有しており、フライブルク形 (Typ Freiburg)とも呼ばれる[ 1] 。
概要
8軸の車軸を有する3車体連接車 であるGT8形は、他都市で導入された3車体連接車とは異なる連接構造を有しているのが特徴である。他都市の3車体連接車は2つの車体の中間、幌やジョイントが存在する箇所の下部に連接構造を有する台車が設置されているのが主流である一方、フライブルク市電のGT8形は前後車体の台枠が台車がない中間車体の下部に伸びており、中間車体の両端にあたる部分に動力台車が設置されている。これにより、フライブルク市電に多い急曲線に対応しながらも従来の車両からの輸送力増強が図られている他、全ての台車に主電動機 を設置する事が容易となり、同じくフライブルク市電に多数存在する勾配区間にも対応している[ 4] [ 5] 。
デュッセルドルフ車両製造 (→デュワグ)が製造を担当し、車体については1次車が導入された1970年代初頭に同社が開発した当時の最新鋭車両・マンハイム形 に基づいた形状が採用されている。全車とも右側通行 に適した片運転台で、乗降扉は車体右側に合計5箇所設置されている[ 1] 。
1次車
GT8形(1次車)(1979年 撮影)
1971年 から1972年 にかけて4両(201 - 204)が導入された車種。制御装置は旧来の抵抗制御方式 に対応した機器が採用された一方、「Geamatic」と呼ばれる、抵抗値の進段を自動で制御するシステムが搭載された。幾つかの改造を経て2005年 までフライブルク市電に在籍し、その後は全車ともポーランド ・ウッチ のウッチ市電 へ譲渡されたが、2012年 に営業運転を離脱し、以降は順次解体された[ 5] [ 7] 。
2次車
1981年 から1983年 にかけて10両(205 - 214)が製造された車種で、「GT8K形 」とも呼ばれる。車体や台車などの基本的な構造は1次車に準拠したものだったが、制御方式が電機子チョッパ制御方式 に変更され、従来の車種と比べてスムーズな加減速が可能となった。また、塗装も従来のものから変更され赤色 と白色 を基調とするものとなった他、前照灯 の位置も変わった[ 10] [ 12] [ 13] [ 5] 。
フライブルク市電の輸送力増強に貢献し、長期に渡って使用されたが、後継車両の導入に伴い2007年 から廃車が始まった。2010年代以降はフライブルク市電で最後のバリアフリーに適さない高床式車両となった事もあり朝夕のラッシュ時や臨時運用の使用が主体となり、2023年 現在は2両(212、214)のみが残存する。一方、2021年時点で残存していた4両についてはドイツ各地での保存が決定している他[ 注釈 1] 、2両(207、208)については2008年 にドイツ ・ウルム のウルム市電 に譲渡され、双方の車体や機器を用いた両運転台の事業用車両 が同市電の工場で作られている[ 5] [ 13] [ 14] [ 15] [ 16] [ 17] 。
3次車
1990年 から1991年 にかけて11両(221 - 231)が導入された車種で、「GT8N形 」とも呼ばれる。1次車・2次車との違いは主に中間車体で、乗降扉付近、車内全体の9 %が床上高さを抑えた低床構造になっているのが特徴であり、フライブルク市電における初の超低床電車 (部分超低床電車)となった[ 4] [ 9] [ 12] [ 5] 。
営業運転開始後、2001年 から2011年 にかけてはメンテナンスの簡素化や延命を目的に、制御装置をチェコ のセゲレツ(Cegelec)が開発したVVVFインバータ制御方式 のものへと変更された。2023年 現在は事故廃車となった1両を除いた10両が在籍するが、超低床電車である「ウルボス 」の増備車への置き換えにより2024年 までに営業運転から撤退する予定となっている[ 8] [ 12] [ 5] [ 19] [ 20] 。
関連項目
GT8Z形(2006年 撮影)
脚注
注釈
^ 各都市に譲渡された4両の中には、フライブルク路面電車友の会(Freunde der Freiburger Straßenbahn e.V.)によって動態保存されながらも機器の故障により運用を離脱していた1両(205)も含まれる。
出典
参考資料