バーナム・オーバリー・ステイスの風車。
バーナム・オーバリー (Burnham Overy) は、イングランド 、ノーフォーク 州北部海岸に位置する行政パリッシュ (英語版 ) 。現代においては、区域内にある二つのハムレット(小村) 、すなわち元々の集落であり中世以来の小教区教会があるものの今ではわずかな戸数しかないバーナム・オーバリー・タウン (Burnham Overy Town) と、1-マイル (1.6 km)ほど離れた場所にある水路に面した船着場に臨む大きめのハムレットであるバーナム・オーバリー・ステイス (Burnham Overy Staithe) を区別することがある。
バーナム・オーバリーは、西に1-マイル (1.6 km)も離れていない、大きめの村バーナム・マーケット (英語版 ) と、東に3マイル (4.8 km)ほど離れたホウカム (英語版 ) の間に位置している。より大きな町で、鉄道の最寄駅があるキングズ・リン が20-マイル (32 km)ほど南西にあり、他方で30マイル (48 km)南東にはノリッジ がある。
ホレーショ・ネルソン提督 の生地であるバーナム・ソープ (英語版 ) は、1-マイル (1.6 km)ほど南東に位置している。様々な書簡や文書類が示すところによれば、ネルソンは海軍 に入る2年前の10歳のときに、バーナム・オーバリー・ステイスでディンギー の漕ぎ方や、帆走を学んだという。村にある唯一のパブ は、「ザ・ヒーロー (The Hero)」という名であるが、これはネルソンを称えたものである。
この行政パリッシュの面積は、8.92 km2 で、2001年イギリス国勢調査 (英語版 ) における人口は 311人、世帯数は 167世帯であったが、2011年 (英語版 ) には人口 134人まで減少した[ 1] 。地方行政区画の上では、この行政パリッシュはキングス・リン・アンド・ウェスト・ノーフォーク (英語版 ) の非都市ディストリクト に所属している[ 2] 。
バーナム・オーバリーは、歴史的にバーナムズ (英語版 ) と総称される周辺の村々の港であった。二つの集落はいずれもバーン川 (英語版 ) に面しており、中世末期までは、交易船が村まで、すなわち現在のバーナム・オーバリー・タウンに入港することができた。しかし、河床の堆泥が進み、商用の交通は、下流側のバーナム・オーバリー・ステイスに移った。1866年 に鉄道がバーナムズまで通るようになると船による商用運搬は衰退し、最後の商用船がステイスを発ったのは第一次世界大戦 が終わって間も無くであったと考えられている[ 3] 。
バーナム・オーバリー・ステイスから海までの間は、海岸沿いの塩性沼沢 を通る川が多数の潮汐水路 (英語版 ) }を成しており、最後には、地元でバーナム・ハーバー (Burnham Harbour) と称されているガン・ヒル (Gun Hill) 近くの砂丘 の切れ目を通って海に注ぐ。小型船舶であれば、この切れ目と水路を通って海側からバーナム・オーバリー・ステイスに達することができる。今日では、バーナム・オーバリー・ステイスとその船着場は、リクリエーション としてのセーリング の拠点となっている。また、季節によって運行されるスコルト・ヘッド島 (英語版 ) 国立自然保護区 (英語版 ) への渡し船の発着点となっている[ 4] [ 5] 。
バーナム・オーバリーの水路の東側には、乾いた土地と砂丘の間のかつての塩性沼沢が干拓 によって塩水の影響を受けない草地 とされ、ホウカム ・エステートの一部となっている。バーナム・オーバリー・ステイスから砂丘や砂浜までは、干拓地を水路の影響から護る円弧をなす築堤に沿って設けられone-and-a-half-マイル (2.4 km)ほどの歩道で結ばれている[ 4] 。
著名な住民
大衆文化の中で
ジョーン・G・ロビンソン の小説『思い出のマーニー (When Marnie Was There )』に登場する、ふたつの村リトル・オーバートン (Little Overton) とバーナム (Barnham) は、特に重要な場所として扱われる突堤 と風車 (英語版 ) を含め、いずれもバーナム・オーバリーを基にしている。
ギャラリー
水路と塩性沼沢、遠景に河口を望む。
淡水化された干拓地の草地。
砂丘、砂浜、河口。
脚注
外部リンク