ハロルド・ハワード(Harold Clarence Howard、1958年-)は、カナダ連邦オンタリオ州ナイアガラフォールズ出身の総合格闘家。
来歴
初期の人生
オンタリオ州リッチモンドヒルで育ち、17歳の時に柔術会のスティーブ・レイノルズの下で柔術のトレーニングを始めた。1983年にナイアガラフォールズに転居し、ジェームズ・モーデン高校及びキリスト教青年会(YMCA)で空手と柔術を教えた。1984年に自分の教室を開き、競技者として活躍する傍ら、スポーツ空手やスポーツ柔術で世界レベルの弟子を何人も育てた。
柔術
1984年、カナダのスポーツ柔術の初代ヘビー級チャンピオンとなる。World Council of Ju-Jutsu Organizations (WCJO)主催の第1回世界柔術選手権では、ヘビー級で個人優勝したほか、カナダチーム(ヘビー級)も団体戦の金メダルを獲得した。
空手
1982年から1984年にかけて、カナダヘビー級空手選手権を3連覇している。1986年と1987年には、カナダのナショナルチームにも加わった。この時期は、カナダでトップクラスのスポーツ空手選手であった。
1988年に背中の手術で一線を退いたが、34歳だった1992年に復帰し、スポーツ空手の国内黒帯リーグで銀メダルを獲得した。無敗で決勝まで進んだが、怪我のために決勝の2試合を棄権せざるを得なかった。
総合格闘技
プロの戦績は1勝3敗、そのうちUFCでは1勝2敗であった[1]。
私生活
既婚であり、息子2人と娘1人がいる。2009年まで、ナイアガラフォールズで護身術の小さな教室を開きつつ、屋根葺きの仕事を行っていた[2]。
2009年12月22日、ハワードは2回の殺人未遂、2件の武器による暴行、警察からの逃走、自動車の危険運転、いたずら、逮捕後の2件の誓約違反等で起訴された。逮捕容疑の中には、自身の姉とその息子をハンマーで襲ったこと、また別居中の妻を連れ戻そうとしたこと、フォールズビューのカジノに自身の車で突っ込んだこと等が含まれると言われた[3]。これらの罪により、懲役5年の刑を受けた[4]。
戦績
総合格闘技 戦績
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4 試合
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(T)KO
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一本
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判定
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その他
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引き分け
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無効試合
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1 勝
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1
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0
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0
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0
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0
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0
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3 敗
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3
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0
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0
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0
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勝敗
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対戦相手
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試合結果
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大会名
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開催年月日
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× |
ウゴ・デュアルチ |
1R 0:29 ギブアップ(パンチ) |
UVF 3 - Universal Vale Tudo Fighting 3 |
1996年8月14日
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× |
マーク・ホール |
1R 1:41 ギブアップ(打撃) |
UFC 7 |
1995年9月8日
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× |
スティーブ・ジェナム |
1R 1:27 ギブアップ(パンチ) |
UFC 3 |
1994年9月9日
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○ |
ロナルド・ペイン |
1R 0:46 KO(パンチ) |
UFC 3 |
1994年9月9日
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出典
外部リンク