チャーリー・フライ(Charlie Frye 1981年8月28日- )はオハイオ州ノーウォーク出身の元アメリカンフットボール選手。ポジションはクォーターバック。
経歴
プロ入りまで
高校時代はアメリカンフットボールとバスケットボールで活躍した。アクロン大学では大学記録を54個塗り替えた。1年目をレッドシャツで過ごした後、すぐに先発の座を手に入れた。大学4年次にはアラバマ州モービルで行われたシニアボウルに出場し、MVPに選ばれた。
クリーブランド・ブラウンズ
2005年のNFLドラフト3巡でクリーブランド・ブラウンズに指名されて入団した。その年の第13週、ジャクソンビル・ジャガーズ戦でデビューし、226ヤードを投げて同じ新人WRのブレイロン・エドワーズへのタッチダウンパスを2個決めた。この試合でブラウンズの先発QB記録となるQBレイティング136.7を記録した。この年最後の5試合の先発QBを任された彼は2勝3敗でシーズンを終えた。
2006年はデレック・アンダーソンと争った末、開幕戦から先発QBとなり13試合に先発し、約2500ヤードを投げた[1]。
2007年シーズンもアンダーソン、新人のブレイディ・クインとの争いに勝ち[2]、開幕戦のピッツバーグ・スティーラーズ戦で先発したが前半途中まででパス10本中4本成功、34ヤード獲得にとどまり、デレック・アンダーソンと交代させられた[3]。この年の残りゲーム全てで先発したアンダーソンはプロボウルに選ばれる活躍を見せた。
シアトル・シーホークス
2007年9月11日、ドラフト6巡指名権と引き替えにシアトル・シーホークスにトレードされた[4]。シーホークスではマット・ハッセルベック、セネカ・ウォレスに次ぐ第3QBとなった[5]。シーホークスでは2008年のグリーンベイ・パッカーズ戦で初出場した。
オークランド・レイダース
シーズン終了後、無制限フリーエージェントとなった彼は2009年6月8日、オークランド・レイダースと契約した[1]。12月16日、故障したブルース・グラドコウスキーの代わりに、開幕時のエースQBジャマーカス・ラッセルを差し置いて、トム・ケイブルヘッドコーチによって先発QBに指名された[6]。12月20日のデンバー・ブロンコス戦で先発したが、第4Q始めに脳震盪を起こし退場、ラッセルがリリーフ、試合に勝利した[7][8]。翌週のクリーブランド・ブラウンズ戦では先発したものの3インターセプトを喫した[9]。また翌週のボルチモア・レイブンズ戦では試合前半に1タッチダウン、インターセプト0をあげたが、首の負傷で後半はベンチに下がった[10][11]。この年彼は581ヤードを投げて1タッチダウン、4インターセプト、QBレイティング65.3の成績を残した。
2010年3月15日、1年間122万6000ドルで再契約を結んだが[12]、プレシーズンゲームでシーズン絶望の負傷をして[13]、8月19日故障者リスト入りした。
コーチ歴
2012年よりフロリダ州にある高校のフットボール部のコーチに就いた。
2021年よりマイアミ・ドルフィンズのクォーターバックコーチに就任した[14]。
脚注
外部リンク
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- オークランド・レイダース(1960–1981, 1995–2019)
- ロサンゼルス・レイダース(1982–1994)
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