ゾフィー・ドロテア・フォン・ブラウンシュヴァイク=リューネブルク (ドイツ語 : Sophie Dorothea von Braunschweig-Lüneburg , 1666年 9月15日 - 1726年 11月13日 )は、ハノーファー 侯子ゲオルク・ルートヴィヒ、後のハノーファー選帝侯兼イギリス 王 ジョージ1世 の妻。
ただし、夫が選帝侯位および王位を継承する以前に離縁され、32年間幽閉された。子を通じ、イギリス王室(ハノーヴァー朝 )およびプロイセン 王室(ホーエンツォレルン家 )にその子孫がいる。
名前について
実家のリューネブルク侯領 に基づき、ゾフィー・ドロテア・フォン・ツェレ (Sophie Dorothea von Celle )とも呼ばれる。英語表記ではソフィア・ドロテア・オブ・ツェレ (Sophia Dorothea of Celle )となる。また長く幽閉されたアールデン城 にちなみ、「アールデンの公女」(Prinzessin von Ahlden )としても知られる。なお、日本語の書籍では「ゾフィア・ドロテア 」と表記される場合もある。
家系
父はリューネブルク侯 ゲオルク・ヴィルヘルム 、母はエレオノール・ドルブリューズ 。
祖父のカレンベルク侯 ゲオルク には4男があり、1641年 に長男クリスティアン・ルートヴィヒ がカレンベルク侯領を相続したが、1648年 のリューネブルク侯領継承でカレンベルク侯領を次男ゲオルク・ヴィルヘルムへ譲った。クリスティアン・ルートヴィヒが1665年 に死亡するとリューネブルク侯領はゲオルク・ヴィルヘルムに渡ったが、彼はカレンベルク侯領を三男ヨハン・フリードリヒ へ譲り(ヨハン・フリードリヒはカトリック を信仰したため不適格となったとも)、1679年 のヨハン・フリードリヒの死後は四男エルンスト・アウグスト がカレンベルク侯領を継承した。やがて1692年 にエルンスト・アウグストは選帝侯 位を獲得しハノーファー選帝侯となる[ 1] 。
ゲオルク・ヴィルヘルムはプファルツ選帝侯 フリードリヒ5世 の娘ゾフィー と婚約していたが、彼女が天然痘 により容色を失ったことなどにより婚約を破棄した後、1665年にフランス人の愛妾エレオノール・ドルブリューズと貴賤結婚 した[ 2] 。
選帝侯女ゾフィーはその後1658年 にエルンスト・アウグストと結婚し、ゲオルク・ルートヴィヒらを産んだ。ゾフィ―はイングランド王ジェームズ1世 の孫娘であり、メアリー2世 夫妻とアン女王 には嫡子がなく、イギリスの王位継承権はゾフィーの子孫に限られていた(イギリス王位継承順位 )[ 3] 。
生涯
1691年、子供たちと
1666年9月15日、リューネブルク侯ゲオルク・ヴィルヘルムと愛妾エレオノールとの間に誕生。1676年 にゲオルク・ヴィルヘルムは神聖ローマ皇帝 レオポルト1世 の承認を得て、エレオノールをヴィルヘルムスブルク伯爵として正式に結婚し、ゾフィー・ドロテアも嫡出子となる。9歳で同族のブラウンシュヴァイク=ヴォルフェンビュッテル侯 アントン・ウルリヒ の長男アウグスト・フリードリヒの婚約が決まったが、1676年に仏蘭戦争 でアウグスト・フリードリヒが戦死したため婚約は解消になった[ 4] 。
1682年 9月15日、ゾフィー・ドロテアは16歳の誕生日に従兄ゲオルク・ルートヴィヒ公子との婚約を知る。11月21日に結婚した[ 5] 。
本人にとって気の進まない結婚だった上に、過去のいきさつから姑ゾフィーとの折り合いも良くなかった。さらに、夫ゲオルク・ルートヴィヒも美貌で名高かった妻に関心を持たず、ゲオルク・アウグスト(後のジョージ2世 )とゾフィー・ドロテア が生まれた後は、愛人を作って妻を気にかけなくなった。ゲオルクの愛人たち、ゾフィー・ドロテアの侍女プラーテン伯爵夫人 の妹であるカタリーナ、エーレンガルト・メルジーネ・フォン・デア・シューレンブルク が不美人であったことは、大変な屈辱を与えたとされる[ 6] 。
そのためゾフィー・ドロテアは、ケーニヒスマルク伯フィリップ と愛人関係になっていったが、ほどなく夫に知られ、1694年 7月1日 を最後にフィリップは「失踪」。ゾフィー・ドロテアはゲオルクへの従属を拒否して離婚を求めた。その結果、「離婚手続きが済むまでの間」アールデン城に幽閉された。実母エレオノーレ以外との面会は許されなかった。結局、ゾフィー・ドロテアは1726年に死去するまで32年もの間、アールデン城 に幽閉され続けた[ 7] 。
息子ジョージ2世は美しい母の思い出の品を全て没収され、こうした状況から父を激しく憎悪することとなる。このことはジョージ1世の戴冠式にも尾を引いた[ 8] 。またプロイセン王妃となった同名の娘は、母の侍女をプロイセンに呼び、母に対する忠誠に報いた。
子女
脚注
^ 森、P181 - P183、P185、友清、P35 - P38、菊池、P128。
^ 森、P183 - P184、友清、P36、菊池、P123 - P124。
^ 森、P184 - P185、友清、P30 - P33。
^ 森、P184、友清、P36 - P37、菊池、P124。
^ 森、P185 - P186、友清、P37、菊池、P125 - P126。
^ 森、P186 - P188、菊池、P127。
^ 森、P188 - P194、友清、P40、菊池、P127 - P130。
^ 森、P194 - P195、友清、P40、菊池、P130。
参考文献