1886年から1890年まで彼は海軍の軍需部門の長(Director of Naval Ordinance)の職にあったが、陸軍省(War Office)から海軍砲の設計の権限を取り上げる試みにはそれほど成功しなかった。彼は1887年にヴィクトリア女王の侍従武官となり、1890年8月に海軍少将に昇進した。
その時までにはフランスとの関係が緊密になる一方で、ドイツとイギリスは海軍軍備拡張競争に取りかかっていた。フィッシャーは海外駐留海軍を縮小する一方で、強力な本国艦隊を創設することを決めた。世論が騒然とする中で、彼は「戦うには弱すぎ、逃げるには遅すぎる」("too weak to fight and too slow to run away")、また「守銭奴の無駄ながらくたの買いだめ」("a miser's hoard of useless junk")と呼ぶ90隻の時代遅れで小さな軍艦を鉄屑にするべく売り払い、さらに64隻を予備役とした。これによって本国海域の大型新鋭艦の数を増やすための人員と資金が使えるようになった。
彼は第一次世界大戦が終わるまでGovernment's Board of Invention and Researchの議長を務めていた。彼は妻フランセスを亡くした2年後の1920年に癌で死去した。遺体はウェストミンスター寺院での国葬ののち荼毘に付され、住まいのあったノーフォークのキルヴァーストン(英語版)にあるセントアンドリュー教会墓地の妻の墓の隣に埋葬された。
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