ジョゼ・テイシェイラ[1][2]こと、ジョゼ・デ・ソウザ・テイシェイラ(José de Souza Teixeira、1935年9月25日 - 2018年4月13日)は、ブラジル出身のサッカー指導者。
来歴
1965年から[3]SCコリンチャンス・パウリスタでフィジカルコーチを務め、暫定監督としても数試合で指揮を執った[1]。1977年には同クラブにとって23年ぶりとなるサンパウロ州選手権優勝に貢献。翌1978年には正式に監督へ昇格し、100試合超に渡ってチームを率いた[4][1]。この頃、留学中のホルヘ・ルイス・ピントと知己を得ている[5]。
その後コロンビア、サウジアラビア、UAE、ペルーと各国のクラブを渡り歩き[6][7]、1987年にはパウロ・ヌーネス、ベンチーニョ、アシス、ソニー・アンデルソンらU-16ブラジル代表を率いてU-16世界選手権(現在のFIFA U-17ワールドカップ)に臨むも、攻撃陣の不発によって[8]グループリーグ敗退に終わった。
1988年にはイトゥアーノFC監督に就任し、1989年のサンパウロ州選手権2部で優勝[2]。1992年にはイトゥアーノで行動を共にしたアンジェロとアマラオを伴って訪日し、東京ガスサッカー部(後のFC東京)アドバイザーに就いた[9]。
2005年、コリンチャンスの22年に渡る無冠時代を記した「A história de um tabu que durou 22 anos」を上梓[10]。2010年には自身のサッカー歴を振り返る「50 Anos por Dentro do Futebol」を発刊[11]。
2018年4月13日死去[3]。享年82歳[2]。
指導歴
脚注
外部リンク