シウダー・フアレス(Ciudad Juárez)は、メキシコ北部のチワワ州の都市。人口は約150万人(2020年)で州内最大である。アメリカ=メキシコ国境に接している。旧名はエル・パソ・デル・ノルテ(El Paso del Norte)。
1863年、メキシコシティがフランス軍に制圧されたため、当時のメキシコの大統領、ベニート・フアレス率いる共和党が一時的にエルパソ・デル・ノルテに移住し、フランス軍の侵略戦争(メキシコ出兵)に抵抗した。その行為に敬意を表す形で1888年にエルパソ・デル・ノルテはシウダー・フアレスに改称された。
一時期非常に治安が悪化したが既に収束している[2]。
歴史
スペイン領
1659年、ロッキー山脈へのルートを開拓していたスペイン人探検家でフランシスコ会のフライ(スペイン語版、英語版)(Fray)、ガルシーア・デ・サン・フランシスコ(García de San Francisco)によって「エル・パソ・デル・ノルテ」の町が造られた。
1680年、プエブロの反乱。
メキシコ独立
1810年、ヌエバ・エスパーニャからの独立を目指したメキシコ独立革命(1810年-1821年)が始まる。
1832年、ベラスコの戦いでテクシャンがメキシコ合衆国に勝利。
1836年、テキサス革命(1835年-1836年)の講和条約・ベラスコ条約(英語版)[3] でテキサス共和国(1836年-1845年)がメキシコ合衆国から独立。
1845年、テキサス併合。
1848年、米墨戦争(1846年 - 1848年)の講和条約、グアダルーペ・イダルゴ条約によってリオ・グランデ川を米墨国境とすることが確定した。
1850年3月、アメリカ合衆国領のリオ・グランデ川北岸はエルパソ郡エルパソと呼ばれるようになった。
1888年、メキシコ領の南岸「エル・パソ・デル・ノルテ」は初代大統領ベニート・フアレスにちなんでシウダー・フアレス(Ciudad Juárez)と改称。
メキシコ革命
20世紀
マキラドーラの発達とともに治安が悪化、特に女性に対する暴行事件が1990年代以降に急増し、フェミサイド事件や女性誘拐事件が頻発している。また北米自由貿易協定の発効に伴い農村が疲弊し失業者が増大、誘拐ビジネスが横行するようになった。アメリカ合衆国テキサス州のエルパソと隣り合う(El Paso–Juárez)ことからアメリカへの不法入国者が急増した。
1984年にはシウダー・フアレス放射能汚染事故が発生した。
21世紀
2005年には麻薬カルテルのシナロア・カルテルとフアレス・カルテルの間の抗争が勃発、2008年以降は急速に激化し、治安悪化のため駐留した連邦軍や連邦警察との間で内戦状況を呈していた(詳しくはメキシコ麻薬戦争)。2016年時点では既に収束しているが安全になったわけではない[2]。
2023年1月1日、市内の州立刑務所が武装集団の襲撃を受け警備員ら14人が死亡する一方、受刑者24人が脱走した。刑務所内では暴動も発生した[4]。
地理
シウダー・フアレスは、北米最大の砂漠であるチワワ砂漠の中にある。街の南には、大規模なサマラユーカ砂丘、保護地域がある。この環境は、極端な天候にシウダー・フアレスの特徴、特に風が頻繁に市内で生成近くに砂漠の砂嵐と一緒にソースを記録した。
国境の町
市の北側にメキシコとアメリカの国境(アメリカ=メキシコ国境)でもあるリオ・グランデ川が流れている。川を渡ればアメリカに入国することになり、テキサス州最西部の町エルパソにたどり着く。シウダー・フアレスにはエルパソと結ぶ4つの橋があり、2008年におよそ22,958,472人の移民がこれらの橋を利用して2つの都市を行き来したといわれている。シウダー・フアレスとエルパソを合わせば、人口は約250万人となり、アメリカとメキシコの国境地帯の都市で2番目の大きさである。
2018年11月、中米からの移民キャラバンの一部がシウダー・フアレス側からアメリカ=メキシコ国境を越えてアメリカ入国を図ったが拘束されている[5]。
気候
シウダー・フアレスにはチワワ砂漠から近いため、気候は異常に乾燥している上、最高気温と最低気温に大きな差がある。夏季の平均最高気温は摂氏35度に上り、最低気温は摂氏20度以下になる。冬季の平均最高気温は摂氏14度で、最低気温は摂氏0度である。冬と春は降水量が少ないが雪が降ることがある。
シウダー・フアレスの気候
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月 |
1月 |
2月 |
3月 |
4月 |
5月 |
6月 |
7月 |
8月 |
9月 |
10月 |
11月 |
12月 |
年
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最高気温記録 °C (°F)
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28.0 (82.4)
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30.0 (86)
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33.0 (91.4)
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39.0 (102.2)
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42.0 (107.6)
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49.0 (120.2)
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47.3 (117.1)
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41.5 (106.7)
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41.0 (105.8)
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38.0 (100.4)
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32.0 (89.6)
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34.0 (93.2)
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49.0 (120.2)
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平均最高気温 °C (°F)
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14.7 (58.5)
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18.0 (64.4)
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21.6 (70.9)
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26.6 (79.9)
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31.3 (88.3)
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35.7 (96.3)
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35.4 (95.7)
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34.2 (93.6)
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31.1 (88)
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25.9 (78.6)
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19.4 (66.9)
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15.8 (60.4)
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25.8 (78.4)
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日平均気温 °C (°F)
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7.2 (45)
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9.9 (49.8)
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13.4 (56.1)
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18.0 (64.4)
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22.7 (72.9)
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27.2 (81)
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28.1 (82.6)
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27.0 (80.6)
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23.6 (74.5)
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18.1 (64.6)
|
11.6 (52.9)
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8.0 (46.4)
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17.9 (64.2)
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平均最低気温 °C (°F)
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−0.2 (31.6)
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1.9 (35.4)
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5.1 (41.2)
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9.4 (48.9)
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14.1 (57.4)
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18.7 (65.7)
|
20.8 (69.4)
|
19.9 (67.8)
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16.0 (60.8)
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10.3 (50.5)
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3.7 (38.7)
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0.2 (32.4)
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10.0 (50)
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最低気温記録 °C (°F)
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−18.0 (−0.4)
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−27.0 (−16.6)
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−13.0 (8.6)
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−5.0 (23)
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1.0 (33.8)
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5.0 (41)
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10.0 (50)
|
10.0 (50)
|
7.0 (44.6)
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−3.0 (26.6)
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−17 (1)
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−21.0 (−5.8)
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−27.0 (−16.6)
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降水量 mm (inch)
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12.1 (0.476)
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11.3 (0.445)
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7.8 (0.307)
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5.6 (0.22)
|
7.8 (0.307)
|
17.9 (0.705)
|
50.7 (1.996)
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49.6 (1.953)
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47.1 (1.854)
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22.8 (0.898)
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10.1 (0.398)
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11.4 (0.449)
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254.2 (10.008)
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平均降水日数 (≥0.1 mm)
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3.5
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2.6
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2.1
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1.3
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1.8
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3.0
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6.7
|
6.7
|
5.2
|
3.8
|
2.6
|
2.5
|
41.8
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平均降雪日数
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0.72
|
0.69
|
0.57
|
0
|
0
|
0
|
0
|
0
|
0
|
0
|
0.50
|
0.41
|
2.89
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平均月間日照時間
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248
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254
|
310
|
330
|
372
|
390
|
341
|
341
|
330
|
310
|
270
|
248
|
3,744
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出典1:1 Servicio Meteorológico Nacional (record highs and October record low)[6] (November record high, and record lows),[7]
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出典2:Colegio de Postgraduados (snowy days)[8] BBC Weather (sun only).[9]
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交通
シウダー・フアレス国際空港があり、国内の主要都市との定期便がある。
空港からはシャトルバスが運行し、エルパソまで運転している[10]。
人口統計
1990年の統計では市の人口は約78万人だったが、30年間で倍増した。人口増加率はメキシコの都市の中でも高い水準にある。
国境を越えてアメリカ合衆国のテキサス州エルパソと共に二国間に跨る大きな生活圏を作り上げており、米墨間の生活圏としてはティフアナ(メキシコ) - サンディエゴ(アメリカ)に次ぐ。
麻薬組織の活動
- 2008年頃から麻薬カルテルの抗争が激化。メキシコ政府が取り締まりも強化しているにもかかわらず、市内で白昼に銃撃戦が発生するほど急速に治安が悪化した。同市では、2008年を通じて1,600人が麻薬がらみの事件で死亡。抗争はそれでも収まらず2009年には、2,575件の殺人事件が発生した[11]。
- 2010年1月31日未明、武装グループがパーティー会場を襲撃し、高校生ら13人(15人とも[2])を射殺、負傷者が多数発生する事件が発生[12]。カルデロン大統領は、殺害された高校生たちは無実であると発表している[2]。警察当局からの話として、抗争に絡んで誘拐などに加担する高校生の存在が報道された[要出典]。
- シウダー・フアレスは長い間、その高い殺人率に起因する世界で最も危険な都市として見なされていた。しかし2010年から2011年にかけて殺人率は57%減少した。また、誘拐発生率は70%減少した。[要出典]
- 以前、急速に治安が悪化し「戦争地帯を除くと世界で最も危険な都市」と恐れられていた[13]。しかし2012年にホンジュラスの都市サン・ペドロ・スーラに抜かれ、「世界で2番目に危険な場所」になった[14]。
ギャラリー
脚注
外部リンク