カヴァイヨン (Cavaillon 、オック語 プロヴァンサル方言 :Cavalhon)は、フランス 、プロヴァンス=アルプ=コート・ダジュール地域圏 、ヴォクリューズ県 のコミューン 。
地理
デュランス川 谷に位置し、谷を見下ろすサン=ジャックの丘の上にある。東はリュベロン山地、南西はアルピーユ山地に面する。
デュランス川とカラヴォン川に挟まれており、コミューン内をサン=ジュリアン運河が通る。
交通
カラヴォン川
長い間、航行の危険なデュランス川に架かる橋はシストロン にしかなく、カヴァイヨンには渡し場があり船が往来していた。古くから知られる渡し船は18世紀のカッシーニ地図に示されている。1943年に渡し船は廃止された[ 1] 。1830年、デュランス川につり橋が架けられた[ 2] 。
アヴィニョン から24km離れている。A7 が通っており、中心部にはフランス国鉄 の駅がある。
歴史
カヴァイヨンに人が定住した最古の記録は先史時代にさかのぼる。カヴァイヨンの名は、サン=ジャックの丘の上に暮らしガリア と同盟関係にあったカウァレス族(fr )にちなむ。コミューンの北にある採石場からは、井戸、貯蔵庫、墓穴が見つかった。
ローマ時代のカヴァイヨンの名は、カベリオン(Cabellion)またはパグス・カウェリクス(Pagus Cavellicus)であった。まちはドミティア街道 沿いの宿場となっており、発展していった。
カヴァイヨンは4世紀より司教座が置かれていた。その後はアルル王国 の一部、そしてプロヴァンス侯爵領となった。
13世紀にコミューンの名はCavalloと記されていた。
領地としてのカヴァイヨンは、カヴァイヨン司教、カヴァイヨン子爵、そしてローマ教皇庁 との間で分割されていた。12世紀、トゥールーズ伯 レーモン4世 がプロヴァンス侯爵となると、カヴァイヨンはレーモン4世とともにアルビジョア十字軍 に巻き込まれることとなり、13世紀のカヴァイヨンは教皇領 となった。
教皇領(アヴィニョン とヴネッサン伯領)がフランスに併合されるフランス革命 以前、カヴァイヨンはカリエール(fr )と呼ばれるユダヤ人地区(夜は往来を禁じられた)を持つ4都市(他はアヴィニョン、カルパントラ 、リル=シュル=ラ=ソルグ)の1つだった。
1887年11月14日、強い地震がコミューンを襲った。
経済
カヴァイヨンの土壌は肥沃で灌漑によって水が供給されている。メロン、リンゴ、ナシ、サクランボが栽培されている。
リュベロン山地周辺のコミューン同様、観光業が盛んである。
史跡
ローマ遺跡
ノートルダム・エ・サン=ヴェラン教会 - 11世紀
シナゴーグ - 18世紀
ノートルダム・エ・サン=ヴェラン教会
ローマ時代の凱旋門
シナゴーグ
文化
カヴァイヨンは多くの映画の撮影地となっている。
姉妹都市
出身者
脚注
^ Jean-Paul Clébert et Jean-Pierre Rouyer, La Durance, Privat, Toulouse, 1991, dans la collection Rivières et vallées de France, ISBN 2-7089-9503-0 , p 87
^ Jean-Paul Clébert et Jean-Pierre Rouyer, La Durance, Privat, Toulouse, 1991, dans la collection Rivières et vallées de France, ISBN 2-7089-9503-0 , p 92