ある訪問の際、エルンストはスタニスラス・フェロン (Stanislas Féron) というフランスの宣教師に会い、貿易のために開国するよう脅すべく、興宣大院君(当時の国王高宗の実父で摂政を務め朝鮮の実質的な統治者であった)の父親の遺骨を掘り出し、朝鮮より持ち去る計画を立てた。彼らはアメリカ人フレデリック・H・B・ジェンキンス (Frederick Henry Barry Jenkins) の資金と手を借りて、1868年4月30日に出発した。彼らは墓所にたどり着いて発掘を試みたが、遺骸を覆う巨大な切り石に阻まれて、目的を達することができなかった[3]。帰路、彼らは朝鮮の兵士と戦うこととなり、一行は朝鮮から逃げ出す羽目となった[4]。この事件は朝鮮人を激昂させ、外国人との交易をより遠ざけるものとなった。
エルンストはドイツへ戻り、その後ずっと目立たない実業家としての生を送った。幾つかの出典によると、彼がこの重大な盗掘事件を起こした咎により、数か月間服役したと主張している[4][5]。1880年、彼は『禁断の国 朝鮮への船旅』(ドイツ語: Ein verschlossenes Land. Reisen nach Corea, 英語: A Forbidden Land: Voyages to the Corea)[6] と題した一冊の本を出版した。それはライプツィヒのブロックハウス (Brockhaus) より出版され[1]、英語にも翻訳された[3]。その中で、朝鮮の地理歴史、文化、政治制度と対外関係について詳述した。
^Lankov, A. A Grave enterprise, The Korea Times, January 20 2005. 2006年4月26日閲覧
^ abWilliams, S. W.: Oppert's Kingdom of Corea, book review of Oppert's book A Forbidden Land: Voyages to the Korea (G.P. Putnam's Sons, New York 1880), in New Englander and Yale review 39 (157), September 1880, pp. 509 – 521. 2006年4月26日閲覧
^Kleiner, J.: Korea – A Century of Change, World Scientific Publishing Company 2001, ISBN 981-02-4657-9; in particular Chapter 1: The Hermit Kingdom, "Oppert's Act of Piracy" (p. 10). 2006年4月26日閲覧