第10代ヒューム伯爵アレクサンダー・ラミー=ヒューム(英語: Alexander Ramey-Home, 10th Earl of Home、出生名アレクサンダー・ヒューム(Alexander Home)、1769年11月11日 – 1841年10月20日)は、イギリスの政治家、スコットランド貴族。1781年から1786年までダングラス卿の儀礼称号を使用した[1]。
第9代ヒューム伯爵アレクサンダー・ヒュームと3人目の妻アビゲイル・ブラウン(Abigail Browne、旧姓ラミー(Ramey)、1746年ごろ – 1814年2月5日、ジョン・ラミーの娘)の間の次男として、1769年11月11日にザ・ヘイゼル(英語版)で生まれた[1]。1786年10月8日に父が死去すると、ヒューム伯爵位を継承した[1]。
フランス革命戦争ではエンサイン(英語版)(歩兵少尉)としてIndependent Company(本土防衛の部隊)に入り[2]、1794年4月に中尉に昇進した[3]。1797年7月にベリックシャー・フェンシブル騎兵隊(Berwickshire Fencible Cavalry)の大尉に昇進[4]、1802年10月5日にノース・ブリティッシュ民兵隊のベリックシャー連隊(Berwickshire Regiment of North British Militia)隊長(大佐)に昇進した[5]。
1794年3月17日にベリックシャー統監に任命され、1841年に死去するまで務めた[6]。
1807年イギリス総選挙でスコットランド貴族代表議員に当選[7]、以降1841年まで務めた[1]。
1814年3月1日、国王の認可状を得て母の旧姓ラミーを姓に加えた[1]。
1841年10月20日にザ・ヘイゼルで死去、ダルキースで埋葬された[1]。長男コスパトリック・アレクサンダーが爵位を継承した[7]。
1798年11月9日、エリザベス・スコット(Elizabeth Scott、1770年10月10日 – 1837年6月29日、第3代バクルー公爵ヘンリー・スコットの娘)と結婚、3男をもうけた[7]。