MVアグスタ 125S(本国イタリアでは125 Sport、北米市場では125 Sport SE)はイタリアのメーカー、MVアグスタが1975年から1977年にかけて製造したスポーツバイク(英語版)[2]。このモデルはMVアグスタがカシーナ・コスタ工場で最後に生産したモデルの一つである[4]。
背景
125 ccはイタリアでは人気のあるクラスだったので、MVは1954年以降、1950年代後半の「125 Rapido Sport」や[5]、1970年代初頭の「GTLS]などの4ストロークエンジン125モデルを製造してきた[6][7]。
1971年にドメニコ・アグスタ伯爵(英語版)が死去すると、MVアグスタの財務状況は低価格で高品質の日本製オートバイとの競争や、引き続く労使問題によって急速に悪化した[9]。1975年に、MVアグスタのラインナップはすべて新モデルの3車種に絞られていた。この新モデルはミラノで記者会見でコラード・アグスタと、MVアグスタの幹部によって発表された。新しい3車種とは、北米での輸入業者であるコマース・オーバーシーズ・コーポレーションのクリス・ガーヴィルとジム・コザーマンのリクエストで作られた750Sアメリカ(英語版)[11]、イタリアのデザイナー、ジョルジェット・ジウジアーロ(以前、スズキ・RE-5をデザインしていた)がデザインしたMVアグスタ 350イポテージ[9]、そして350Sのデザインを踏襲した125Sだった[2]。
一連のニューモデルはMVアグスタの新時代とグランプリレーサーをベースにした市販車発売という野心的な計画の始まりを提示したが、MVアグスタは1977年にオートバイの製造から撤退した[12]。
詳細
前モデルのGTLSから開発された125Sは、ジウジアーロによる350Sの印象的な水平のラインとシャープな輪郭を踏襲していた。鋼管と鋼板を併用するMVの通常の構成から離れて[7]、銀色に塗装された全鋼管式のダブルクレードルフレームが使われた。350イポテージと同様にリアフェンダーが取り付けられた段付きのシートと、スリットが開いたサイドカバーが取り付けられた。チェリアーニ(英語版)式フロントフォークとスカラブ(英語版)ディスクブレーキによって車体前部に現代的な外観がもたらされた[13]。
この単気筒エンジンの歴史は、1950年代の「Centomila」(「100,000」の意、MVアグスタがこのエンジンは10万kmの使用に耐えると宣伝したことに由来)にまで遡るが[14]、新しい、角ばったクランクケースが与えらえた。正方形のアルミ合金製のシリンダーは、やはり正方形のシリンダーヘッドと組み合わされた。プッシュロッド式のエンジンは、以前のモデルの53 x 56 mmのボアとストロークを継承した。圧縮比は10.5:1に高められ、ベンチュリ形24 mmのキャブレターを通して混合気が供給されて[2]、8,500 rmpで14 bhp (10 kW)を発揮した。電子式点火装置と5速変速機が搭載された[13]。
このモデルは、MVのグランプリレーサーの伝統的なカラーリングに倣って、銀色のフレームと黒い排気管とともに赤と銀色に塗装された。オプションとしてカウリングが用意された[2][13]。
脚注
参考文献
外部リンク