斜めに装着される予定の胴体装備の機関砲は照準が困難だと考えられ試作機には装着されず、軽減された重量により主翼装備のShpital'nyy Sh-3 23 mm機関砲4門の弾薬を900発に増やすことができた。試作機に装備された革新的なものに地上で通常の水平から23°下方へ向けに調節できる機能があった[4]。後部銃手は、別個に搭載された水平方向に180°、上方向に最大80°まで動かせるSh-3機関砲装備のIl-VU-11銃塔を遠隔操作した。機体下方から接近する戦闘機への対処のために10発のカセット式AG-2空中榴散弾を搭載していた。最大爆弾搭載量は1,190 kg (2,600 lb)で、主翼中央部に小型爆弾を収納する4つの爆弾倉を備えていた。主翼の爆弾架に2発の500 kg (1,100 lb) 爆弾か発射レールに4発の132 mm (5.2 in) RS-132ロケット弾を懸架することができた[6]。
試作機は1948年11月27日に完成し、初飛行は数日後の12月4日に行われた。Il-20の最高速度は高度2,800 m (9,200 ft) で515 km/h (320 mph) がやっとで、同高度でのIl-10よりも36 km/h (22 mph) も低速であった。これはパイロットをエンジンの上に配置した結果、胴体断面が大きくなり前面投影面積が増加したことによる抗力の増加と重量過大が原因であると想定された。新しいM-47エンジンは激しい振動の問題を抱えていることが分かった。その他の問題は、空軍が武装に不満を持っていたこととコックピットがエンジンの上にあるためにエンジンの通常整備が困難なことであった。もう一つ考えられる問題は、プロペラ回転面に接近して配置されたコックピットはパイロットが脱出する場合に危険度が高まり、胴体着陸を余儀なくされた場合に曲がったプロペラ・ブレードがコックピットを強打する可能性があった[4]。
Gunston, Bill (1995). The Osprey Encyclopedia of Russian Aircraft from 1875 - 1995. London: Osprey Aerospace. ISBN1-85532-405-9
Gordon, Yefim; Komissarov, Dmitriy and Sergey (2004). OKB Ilyushin: A History of the Design Bureau and its Aircraft. London: Ian Allan. ISBN1-85780-187-3
Nemecek, Vaclav (1986). The History of Soviet Aircraft from 1918. London: Willow Books. ISBN0-00-218033-2