Honda陸上競技部(ホンダりくじょうきょうぎぶ)は、埼玉県狭山市を本拠地とする、本田技研工業の陸上競技部である。
発足は1971年。黎明期は棒高跳の高根沢威夫(モントリオールオリンピック代表)や走高跳の影井克弘(1977年日本選手権優勝)など、フィールド種目を中心に結果を残した[1]。
1980年、第25回全日本実業団駅伝に初出場。1983年に碓井哲雄が監督に就任すると中長距離の強豪チームとなり、浦田春生や大志田秀次らを輩出した。ニューイヤー駅伝では第35回大会(1991年)および第37回大会(1993年)で3位、第38回大会(1994年)では準優勝したものの、旭化成の壁は厚く優勝には手が届かなかった[1]。
なお、狭山市を拠点とする当陸上部のほかに、浜松工場を拠点とするホンダ浜松陸上競技部、熊本工場を拠点とするホンダ熊本陸上競技部、高根沢工場を拠点とするホンダ栃木陸上競技部が存在し、それぞれニューイヤー駅伝に出場(浜松23回・熊本3回・栃木1回)していたが、浜松と熊本は2004年度で廃部、栃木も同好会として2008年まで東日本実業団駅伝に出場していたがその後廃部となっている。
2000年代は藤原正和、石川末廣らがチームを牽引し、第52回ニューイヤー駅伝(2008年)で3位、以降9年連続で8位以内に入るも優勝にあと一歩という状態が続いた[1]。
2010年代後半は設楽悠太、服部翔大、田口雅也、山中秀仁ら有力ランナーが揃い、2018年の第62回ニューイヤー駅伝では24年ぶりとなる準優勝。設楽は2017年にハーフマラソン、2018年にマラソンの日本記録を立て続けに更新した[1]。
2022年の第66回ニューイヤー駅伝では伊藤達彦、青木涼真、土方英和らを擁し、悲願の初優勝を果たす。2023年の第67回ニューイヤー駅伝でも優勝し、史上7チーム目の連覇を達成した[2]。
2009年以降のみ掲載。 走者 は区間賞。