A-19は多数がドイツ国防軍に鹵獲され、M1931が"12,2 cm K.390/1(r)"、M1931/37が12,2 cm K.390/2(r)"の鹵獲兵器コードを与えられて合計424門が野戦砲や沿岸砲として使用された。ドイツでは122mm砲弾のコピー生産も行った。
フィンランドは、自国が鹵獲したものとドイツが鹵獲して供与したもの、計25門のA-19を122 K 31として戦後も運用した。1988年にはフィンランド製の32口径152mm砲身を装着した152 H 88-31に改修され、2007年に退役した。
スペインはドイツ製兵器を導入した装備近代化計画である「ベール計画(スペイン語: Programa Bär)」の一環として1943年にドイツから鹵獲品を150門購入し、後に追加で32門分をトルビアの陸軍工廠でコピー生産し、同工廠では予備部品と弾薬もコピー生産した。第二次世界大戦後、スペインがNATOに加盟してアメリカより火砲が供与されるとA-19は二線級装備とされ、領土防衛部隊(defensa operativa del territorio)の装備品となったが、1970年代にはトルビア工廠で車輪を国産のゴムタイヤに換装するなどの近代化改修が173門に対して行われ、これらの砲は1990年代まで現役で用いられた。