1965年の近鉄バファローズでは、1965年の近鉄バファローズの動向をまとめる。
この年の近鉄バファローズは、岩本義行監督の1年目のシーズンである。
概要
前年のシーズン終了後に別当薫前監督が最下位の責任を取って辞任すると、別当体制で打撃コーチを務め、東映の監督を務めたこともある岩本義行監督がこの年から就任。岩本新監督はチーム若返りのため、関根潤三を巨人へ、首位打者経験者のジャック・ブルームフィールド(ブルーム)を南海へそれぞれ放出した。打つだけの野球に限界があったことから機動力強化のためロベルト・バルボンを阪急から獲得してチーム再建を図るが、チームは開幕から最下位を独走していった。それでも、この年は2位以下が団子レースだったこともあり、最下位脱出のチャンスが訪れたが8月以降は負けが込み、力及ばず借金46で2年連続の最下位に終わった。投手陣は徳久利明の10勝以外は不調で、佐々木宏一郎もリーグ最多の20敗を記録しチーム防御率もリーグ最下位の3.61を記録した。打撃陣では土井正博が24本塁打を打って4番の役目を果たしたが、切り込み隊長として期待されたバルボンが11盗塁に終わり、往年の力を発揮できず本塁打・盗塁ともにリーグ最下位に終わった。シーズン終了後、バルボンがこの年限りで引退した。(バルボンは、その後1974年に阪急のコーチとして球界に復帰した。)
チーム成績
レギュラーシーズン
1965年パシフィック・リーグ順位変動
順位
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4月終了時
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5月終了時
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6月終了時
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7月終了時
|
8月終了時
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9月終了時
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最終成績
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1位
|
南海 |
--
|
南海 |
--
|
南海 |
--
|
南海 |
--
|
南海 |
--
|
南海 |
--
|
南海 |
--
|
2位
|
東京 |
2.5
|
東京 |
10.5
|
東映 |
18.0
|
東映 |
21.5
|
阪急 |
25.0
|
東映 |
22.0
|
東映 |
12.0
|
3位
|
西鉄 |
3.0
|
西鉄 |
10.5
|
東京 |
20.5
|
西鉄 |
26.0
|
西鉄 |
25.0
|
西鉄 |
22.5
|
西鉄 |
15.5
|
4位
|
東映 |
3.5
|
阪急 |
11.5
|
阪急 |
21.5
|
東京 |
28.0
|
東映 |
26.0
|
阪急 |
24.5
|
阪急 |
21.5
|
5位
|
近鉄 |
5.5
|
東映 |
12.0
|
西鉄 |
22.0
|
阪急 |
28.0
|
東京 |
29.5
|
東京 |
30.0
|
東京 |
25.5
|
6位
|
阪急 |
6.5
|
近鉄 |
15.5
|
近鉄 |
23.0
|
近鉄 |
31.5
|
近鉄 |
38.5
|
近鉄 |
42.0
|
近鉄 |
42.5
|
[1]
オールスターゲーム1965
できごと
選手・スタッフ
[2][3]
表彰選手
ドラフト
脚注
注釈
出典
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1950年代 | |
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1960年代 | |
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1970年代 | |
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1980年代 | |
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1990年代 | |
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2000年代 | |
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