1964年の近鉄バファローズでは、1964年の近鉄バファローズの動向をまとめる。
この年の近鉄バファローズは、別当薫監督の3年目のシーズンである。
概要
別当監督の2年間でチーム成績が最下位→4位と浮上し、この年こそAクラス入りを狙うチームは開幕ダッシュ成功と行きたかったが最下位で4月を終了。5月には13勝14敗1分と健闘するも6月以降は負けが込み、最下位に定着。9月に6連勝して上位陣を脅かすも時すでに遅く、5位の西鉄同様マッチレースを繰り広げる南海・阪急などの草刈り場となり最終的に優勝の南海に28.5ゲーム差、5位西鉄には9ゲーム差を付けられて全日程を終了。前年4位躍進の原動力となった投手陣は佐々木宏一郎がリーグ最多の73試合に登板し、久保征弘・徳久利明をはじめ4人が2ケタ勝利をあげた一方で、23敗で最多敗の徳久をはじめ5人が2ケタ敗戦を喫するなど好不調の波が激しく、防御率・被安打・自責点ともにリーグ最下位。打撃陣は4番の土井正博がチームトップの28本塁打を放つなど打線が前年同様好調で打率ベスト10に4人を送り込んだが、守備が粗く失策はリーグ最下位の165個を記録。シーズン終了後、別当監督は成績不振の責任を取り辞任し後任には岩本義行コーチが昇格した。
チーム成績
レギュラーシーズン
1964年パシフィック・リーグ順位変動
順位
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3月終了時
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4月終了時
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5月終了時
|
6月終了時
|
7月終了時
|
8月終了時
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最終成績
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1位
|
西鉄 |
--
|
阪急 |
--
|
西鉄 |
--
|
阪急 |
--
|
南海 |
--
|
南海 |
--
|
南海 |
--
|
2位
|
南海 |
1.5
|
西鉄 |
1.0
|
阪急 |
0.0
|
南海 |
2.0
|
阪急 |
0.5
|
阪急 |
6.0
|
阪急 |
3.5
|
3位
|
阪急 |
2.5
|
南海 |
2.5
|
南海 |
2.0
|
東京 |
3.5
|
東京 |
8.5
|
東京 |
9.5
|
東映 |
5.5
|
4位
|
東京
|
東京
|
東京 |
3.0
|
西鉄 |
7.5
|
西鉄 |
10.5
|
東映 |
11.5
|
東京 |
6.0
|
5位
|
東映 |
4.0
|
東映 |
3.0
|
東映 |
6.0
|
東映 |
10.0
|
東映 |
11.5
|
西鉄 |
17.5
|
西鉄 |
19.5
|
6位
|
近鉄 |
4.5
|
近鉄 |
9.0
|
近鉄 |
10.0
|
近鉄 |
19.0
|
近鉄 |
23.0
|
近鉄 |
30.5
|
近鉄 |
28.5
|
[1]
オールスターゲーム1964
できごと
選手・スタッフ
[2][3]
表彰選手
リーグ・リーダー
|
選手名 |
タイトル |
成績 |
回数
|
土井正博
|
最多安打 |
168本 |
初受賞
|
脚注
注釈
出典
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1950年代 | |
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1960年代 | |
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1970年代 | |
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1980年代 | |
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1990年代 | |
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2000年代 | |
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