1953年の日本シリーズ(1953ねんのにっぽんシリーズ、1953ねんのにほんシリーズ)は、1953年10月10日から10月16日まで行われた第4回プロ野球日本選手権シリーズである。水原茂監督率いる読売ジャイアンツと山本一人監督率いる南海ホークスとの3年連続同一カードによると対決となり、10月に後楽園球場と大阪球場と甲子園球場で行われた。
概要
巨人は独走状態でセ・リーグを勝ち上がり、対する南海は首位が28回も入れ替わるという史上まれに見る大混戦のパ・リーグを勝ち上がっての対決で、3年連続「巨人-南海」の同一カードだった。
この年、日本シリーズ終了後に行われる日米野球の影響から、大阪→東京→大阪/西宮→東京と3度の長距離移動があったにもかかわらず移動日が無い[1]というハードなシリーズだった(第3戦が引き分けとなったことにより、第7戦で南海が勝利して3勝3敗となった場合は、第8戦は11月にずれ込むことになっていた)。また、巨人軍は日本シリーズ前に、国鉄スワローズとのレギュラーシーズンリーグ5試合を消化しないままでそれに突入したが、上記の日米野球の日程の都合により空きスケジュールが調整できなかったことと、この段階でリーグ戦順位が確定したこともあって、この5試合は延期せず、ペナントレースを打ち切った。
甲子園球場で行われた第6戦の入場者数6346人は、日本シリーズ史上最少入場者数である。
試合結果
1953年 日本ワールドシリーズ
日付 |
試合 |
ビジター球団(先攻) |
スコア |
ホーム球団(後攻) |
開催球場
|
10月10日(土) |
第1戦 |
読売ジャイアンツ |
3 - 4 |
南海ホークス |
大阪球場
|
10月11日(日) |
第2戦 |
読売ジャイアンツ |
5 - 3 |
南海ホークス
|
10月12日(月) |
第3戦 |
南海ホークス |
2 - 2 |
読売ジャイアンツ |
後楽園球場
|
10月13日(火) |
第4戦 |
南海ホークス |
0 - 3 |
読売ジャイアンツ
|
10月14日(水) |
第5戦 |
読売ジャイアンツ |
5 - 0 |
南海ホークス |
大阪球場
|
10月15日(木) |
第6戦 |
読売ジャイアンツ |
0 - 2 |
南海ホークス |
甲子園球場
|
10月16日(金) |
第7戦 |
南海ホークス |
2 - 4 |
読売ジャイアンツ |
後楽園球場
|
優勝:読売ジャイアンツ(3年連続3回目)
|
第1戦
10月10日 大阪球場 入場者数:24913人(延長12回)
巨人
|
0 |
1 |
0 |
0 |
0 |
0 |
1 |
0 |
1 |
0 |
0 |
0
|
3
|
南海
|
2 |
0 |
0 |
0 |
0 |
1 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
1x
|
4
|
(巨) |
大友、●別所(1敗) - 広田、楠
|
(南) |
大神、○柚木(1勝) - 松井、筒井
|
[審判]パ二出川(球)セ筒井、パ横沢、セ津田(塁)パ浜崎、セ円城寺(外)
公式記録関係(日本野球機構ページ)
第2戦
10月11日 大阪球場 入場者数:30524人
巨人
|
0 |
1 |
0 |
0 |
0 |
0 |
4 |
0 |
0
|
5
|
南海
|
0 |
0 |
0 |
0 |
1 |
1 |
0 |
1 |
0
|
3
|
(巨) |
○藤本(1勝)、中尾 - 広田
|
(南) |
●中村(1敗)、藤江 - 松井、筒井
|
本塁打
|
(巨) |
与那嶺1号2ラン(7回中村)、千葉1号ソロ(7回中村)、南村1号ソロ(7回中村)
|
(南) |
飯田1号ソロ(8回藤本)
|
[審判]セ島(球)パ上田、セ津田、パ横沢(塁)セ筒井、パ浜崎(外)
公式記録関係(日本野球機構ページ)
第3戦
10月12日 後楽園球場 入場者数:22546人(9回降雨コールド引き分け)
南海
|
0 |
0 |
1 |
0 |
0 |
0 |
0 |
1
|
2
|
巨人
|
1 |
0 |
0 |
0 |
1 |
0 |
0 |
0
|
2
|
(南) |
中原、大神 - 松井、筒井
|
(巨) |
別所 - 広田
|
本塁打
|
(南) |
中原1号ソロ(3回別所)
|
[審判]パ二出川(球)セ津田、パ横沢、セ円城寺(塁)パ上田、セ筒井(外)
公式記録関係(日本野球機構ページ)
第4戦
10月13日 後楽園球場 入場者数:25953人
南海
|
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0
|
0
|
巨人
|
0 |
1 |
0 |
0 |
2 |
0 |
0 |
0 |
X
|
3
|
(南) |
●中谷(1敗)、藤江、小畑 - 松井、筒井
|
(巨) |
○ 大友 (1勝) - 広田
|
[審判]セ島(球)パ上田、セ筒井、パ横沢(塁)セ円城寺、パ浜崎(外)
公式記録関係(日本野球機構ページ)
第5戦
10月14日 大阪球場 入場者数:21652人
巨人
|
1 |
0 |
0 |
1 |
0 |
0 |
0 |
0 |
2 |
1
|
5
|
南海
|
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0
|
0
|
(巨) |
○ 入谷(1勝) - 広田
|
(南) |
●柚木(1勝1敗)、中村 - 筒井
|
本塁打
|
(巨) |
岩本1号ソロ(9回中村)
|
[審判]パ二出川(球)セ筒井、パ浜崎、セ円城寺(塁)パ上田、セ津田(外)
公式記録関係(日本野球機構ページ)
第6戦
10月15日 甲子園球場 入場者数:6346人
巨人
|
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0
|
0
|
南海
|
0 |
0 |
2 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
X
|
2
|
(巨) |
●藤本(1勝1敗)、中尾 - 広田
|
(南) |
○大神 (1勝) - 松井
|
[審判]セ島(球)パ横沢、セ円城寺、パ上田(塁)セ津田、パ浜崎(外)
公式記録関係(日本野球機構ページ)
第7戦
10月16日 後楽園球場 入場者数:21332人
南海
|
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
2 |
0 |
0 |
0
|
2
|
巨人
|
1 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
3 |
0 |
X
|
4
|
(南) |
小畑、●大神 (1勝1敗)、中原、藤江 - 松井
|
(巨) |
別所、○大友(2勝) - 広田
|
本塁打
|
(南) |
松井1号ソロ(6回別所)、木塚1号ソロ(6回別所)
|
[審判]パ二出川(球)セ津田、パ横沢、セ筒井(塁)パ浜崎、セ円城寺(外)
公式記録関係(日本野球機構ページ)
テレビ・ラジオ中継
テレビ中継
この年の2月1日、NHKがテレビ本放送を開始し、続いて8月28日に日本テレビが開局した。日本テレビは開局翌日の8月29日に読売ジャイアンツ対大阪タイガース戦の模様を後楽園球場から中継しプロ野球中継の幕が明けた。そして10月の日本選手権シリーズも第3戦を除いてテレビ放映されることとなった。
なお、大阪府ではまだこの時はテレビ放送は行われていなかった(NHK大阪放送局は翌1954年3月1日にテレビ本放送開始。民放の大阪テレビ開局は1956年まで待たなけならばなかった)。
- 第1戦:10月10日 NHKテレビ 実況:石田武
- 第2戦:10月11日 NHKテレビ
- 第3戦:10月12日 テレビ中継なし
- 第4戦:10月13日 日本テレビ 実況:江本三千年
- 第5戦:10月14日 NHKテレビ 実況:下山博通
- 第6戦:10月15日 NHKテレビ 実況:野村泰治
- 第7戦:10月16日 日本テレビ
ラジオ中継
- 第1戦:10月10日
- 第2戦:10月11日
- NHKラジオ第2 実況:鈴木文彌
- 新日本放送(・ラジオ東京予備カード) 解説:中澤不二雄 実況:杉本隆平
- 朝日放送
- 第3戦:10月12日
- NHKラジオ第2 実況:志村正順
- ラジオ東京 実況:近江正俊
- 新日本放送
- 朝日放送
- 第4戦:10月13日
- NHKラジオ第2 実況:斎藤政男
- ラジオ東京 実況:小坂秀二
- 新日本放送
- 朝日放送
- 第5戦:10月14日
- NHKラジオ第2 実況:石田武
- 新日本放送・ラジオ東京 実況:杉本隆平
- 朝日放送
- 第6戦:10月15日
- NHKラジオ第2 実況:榎本猛
- 新日本放送・ラジオ東京 実況:杉本隆平
- 朝日放送
- 第7戦:10月16日
- NHKラジオ第2 実況:志村正順
- ラジオ東京 実況:小坂秀二
- 新日本放送
- 朝日放送
脚注
関連項目
外部リンク
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1950年代 | |
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1960年代 | |
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1970年代 | |
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1980年代 | |
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1990年代 | |
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2000年代 | |
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2010年代 | |
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2020年代 | |
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各種記録 |