1952年(昭和27年)10月7日に発生したRB-29撃墜事件(RB-29げきついじけん)は、歯舞群島付近で情報収集活動を行っていた米空軍RB-29がソ連軍によって撃墜された事件である[1][2][3]。同地付近では1954年にもRB-29撃墜事件が発生している[1]。
概要
1952年は、冷戦の最中であり、朝鮮半島では朝鮮戦争が行われるなど、北東アジアは緊張状態にあった[4]。航空自衛隊発足前であり、日本には航空兵力として米空軍が駐留していた。横田基地に所在する第15空軍直属第91戦略偵察飛行隊(the 91st Strategic Reconnaissance Squadron)は、北東アジアにおける情報収集活動を実施していた。
同年10月7日、北海道東部より東方にかけて情報収集活動を行っていた第91戦略偵察飛行隊のRB-29(コードネーム Sunbonnet King)[5]は、根室市東方(歯舞諸島付近)を飛行中に識別不明機と遭遇[1]。不明機接近をレーダーサイトより警告されていたが、情報収集活動継続を連絡していた[1]。その後、緊急通信を行い、機体および乗員8名は行方不明となった[1]。米軍は、三沢基地よりF-84戦闘機および救難機を発進させたが、RB-29発見には至らなかった[1]。状況より見て、ソ連軍戦闘機によって撃墜されたものと見られている[1]。
脚注