黒木 亮(くろき りょう、1957年 - )は、日本の小説家。本名は金山 雅之(かなやま まさゆき)[1][2]。
北海道赤平市生まれ、雨竜郡秩父別町育ち。実家は秩父別町の神社。生後7ヶ月で養子に出され、養父母のもとで育つ[1]。北海道深川西高等学校、早稲田大学法学部を卒業。
高校1年生時に陸上で道内3位を記録し、全国高校総体5000メートルに出場[1]。大学では競走部に所属し、大学4年時には20kmで1時間1分58秒8の道路北海道新記録を出している。また箱根駅伝には2年連続で出場し[3]、第55回大会(1979年)では、3区のランナーとして2区の瀬古利彦からトップで襷を受け取り、首位のまま4区へ繋いでいる[4]。
なお、実父である田中久夫も明治大学のランナーとして4年連続で箱根駅伝を走り、第23回大会(1947年)で10区を走り優勝のゴールテープを切った。また、黒木、実父ともに大学3年で3区、4年で8区を走った。実父との再会や競走部時代の瀬古、中村清のエピソード、自らの陸上競技人生に関しては自伝ノンフィクション『冬の喝采』に詳しく書かれている[1]。
大学卒業後、三和銀行に入行。津田沼支店、国内アラビア語研修(半年間)、横浜支店に勤務後、同行の海外派遣制度でカイロ・アメリカン大学(英語版)に留学し、上級アラビア語コースを修了した後、大学院で修士号(中東研究科)を取得。日本に帰国し、日本橋支店勤務を経て、1988年から同行ロンドン支店国際金融課でトルコ・中東・アフリカ向けの国際協調融資、航空機ファイナンス、貿易金融、プロジェクト・ファイナンスなどに6年間携わる[5]。このころから中近東、アフリカへ出張する際の長距離フライトの機内で、国際金融の現場での出来事をノートに書き留め始め、数年後に原稿をいくつかの出版社に持ち込んだところ学生社から本名の金山雅之名義でエッセイ集として発売されることとなった[5]。
その後、ロンドンの証券会社を経て、三菱商事ロンドン現地法人に入社[6]。同社でプロジェクト金融部長を務めながら2000年10月に上梓した国際金融小説『トップ・レフト』で小説家としてデビュー。2003年から専業作家となる[2]。
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