高草 美代蔵(美代藏、たかくさ みよぞう、1869年10月14日(明治2年9月10日[1][2][注 1])- 1959年(昭和34年)2月23日[1][2][3])は、明治から昭和前期の水産指導者、教育者、政治家、実業家。衆議院議員。旧姓・小橋。
備前国邑久郡久々井村(岡山県[3]邑久郡朝日村久々井[1][2][4]、西大寺市を経て現岡山市東区久々井)で、大庄屋[2]・小橋市十郎[5]の二男として生まれる[1][2]。1891年(明治24年[3])閑谷黌(閑谷学校)卒を経て[1]、1893年(明治26年)東京の水産伝習所(東京水産大学を経て現東京海洋大学)を卒業した[1][2][3]。
佐賀県立唐津中学校[注 2]教諭、岡山県農事講習所教師、同水産巡回教師、福井県立小浜水産学校[注 3]長などを歴任した[1][3]。その後、小田郡矢掛町矢掛の旧脇本陣高草家の分家・高草小太郎の養子となった[1][2][6]。
小田郡会議員、同議長を務めた[3][4]。1910年(明治43年)岡山県会議員に選出され1920年(大正9年)まで在任し同参事会員も務めた[1][2][3]。1920年5月の第14回衆議院議員総選挙で岡山県第5区から出馬して初当選[1][2][3]。以後、第15回、第17回総選挙で再選され、衆議院議員に通算3期在任した[1][2][3]。この間、田中義一内閣・陸軍参与官などを務めた[1][2][3]。衆議院では立憲政友会に所属し[3]犬養毅の側近として水産問題を担当し兄・小橋藻三衛との兄弟議員として知られた[1][4]。
水産指導者として漁業組合の近代化と発展に尽力し、1938年(昭和13年)6月、岡山県漁業組合連合会初代会長[1][2]、同年10月、全国漁業組合連合会副会長にそれぞれ就任し[1]、翌年に全漁連会長となった[1][2]。その他、大日本水産会常務理事、岡山県水産会長などを務めた[3]。
また、備中電気専務取締役、東児島電気取締役、日本輸出海産物販売社長、日本油脂販売社長、東京魚市場取締役なども務めた[3]。