高 時福(コ・シボク、고시복)は日本統治時代の朝鮮の独立運動家、大韓民国の軍人。別名は高一鳴。
経歴
1911年、黄海道安岳に生まれる。1931年、日本の中京商業学校を卒業。後に上海に亡命。金九の韓人愛国団に加入し、国内外で軍資金募集、密偵処断、機密文書の受け渡しなどの活動をした[2]。
1936年6月、中央陸軍軍官学校第10期卒業。中国軍第9師に服務し、対日戦に参加。日中戦争が勃発すると、徐州や南口などの戦闘に参加した[2]。
1939年、軍事特派団員として西安で活動。
1940年9月、光復軍が創設されると総司令部副官。西安総司令部幹部や第2支隊幹部を歴任し、綏遠省包頭で工作活動。
1942年12月24日、臨時政府軍務部員。
1943年3月30日、臨時政府内務部総務科長[3]。
1944年5月31日、臨時政府内務部民政科長[4]。
1945年4月、光復軍総司令部に勤務。
1946年12月、警備士官学校第2期卒業、任少尉(軍番10343番)。
1947年、警備士官学校行政部長[5]。
1949年6月18日、第7連隊長(中佐)。
1950年6月10日、第6師団参謀長。
1950年9月26日、ソウル地区兵事区司令官。
1950年10月25日、第30連隊長(大佐)。
1951年2月27日、江原道地区兵事区司令官。
1953年4月26日、ソウル地区兵事区司令官。
1953年5月8日、江原道地区に出張中、原州で心臓麻痺により死亡[11]。
1967年4月14日、国立ソウル顕忠院将軍墓域に安葬。植民地時代の独立運動に参加していたが、独立有功者に認められたのが1977年のため、独立有功者墓域ではなく将軍墓域に埋葬された[2]。
1977年、建国褒章を受章。
1990年、建国勲章愛国章を受章。
出典
参考文献
軍職
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先代 - 延日守
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大韓民国陸軍ソウル地区兵事区司令官 初代:1950.9.26 - 1950.10.16 第4代:1953.4.26 - 1953.5.8
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次代 白洪錫 厳柱明
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先代 呉光鮮
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大韓民国陸軍江原道地区兵事区司令官 第2代:1951.2.27 - 1952.11.15
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次代 韓王龍
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